2016年5月29日日曜日

モノのキオク vol.1  ~ 女性の名刺入れ ~


僕には子どものころから不思議な能力があって、モノに触れると、そのモノが持つ歴史や記憶を感じ取ることができる。すべてのモノというわけではなくて、特別な思いを持ったモノのようだ。また、すべての歴史、記憶というわけではない。例えば牛革製品だったら、そのモノが製品になって誰かに所有された後の記憶を感じることができる。牛として生きていたころの記憶は感じない。
 
その名刺入れを拾ったとき、感じたのは女性の悲しみだった。20代後半から30代前半の女性で、髪が長くてキレイな女性の姿が見て取れた。はっきりとしたイメージで感じられるわけではなくて、ぼんやりとしたイメージだけれど。
 
その女性はある男性の車に乗っていて、駅のそばの道路で停まった車から飛び降りた。彼女は哀しんでいて、また怒っていた。そして、怒りながら、車を飛び出した時に、バックを地面に落として、そのときにバックから名刺入れが落ちた。名刺以外にも小物が地面に散らばったのだけれど、夜暗くて、名刺入れが黒色だったせいもあって、彼女は名刺入れには気付かずに拾いもれてしまった。その30分後くらいに僕がその場所を通りかかって、その日の夜、名刺入れを拾った。
 
名刺入れを拾ったときに彼女の哀しみを感じるとともにその男性への想いを感じることもできた。名刺入れを触った瞬間、稲光が目の前で瞬いたかのように。
  
その男性は彼女の会社の上司で、2人は2年ほど付き合っていた。上司は彼女よりも10歳ほど年上のようで、既婚者だった。彼女は独身だったから不倫関係にあった。

その上司は奥さんとの仲は良くない、離婚も考えている、と彼女に言っていて、離婚したら彼女と再婚したい、と言っていた。彼女はその言葉を信じていた。彼女にとってその上司の言葉は救いで、希望だった。疑うことはできなかった。
 
しかし、1週間ほど前、街を歩くその上司と奥さんの姿を見て、彼女は自分が騙されていたことを知る。その奥さんは妊娠していて、おなかはかなり大きくなっていた。一人娘がいることは知っていたけれど、娘が生まれて以降、妻との関係は冷めていて、何年も、奥さんと体の関係はない、と上司は言っていた。
結婚しているけれど、夫婦に身体の関係はない、という上司の言葉が彼女にとっては救いだった。結婚しているけれどセックスレス、その言葉が彼女の嫉妬を抑える慰めだった。
  
 
しかし、上司は奥さんを妊娠させていた。 
  
 
裏切られた、
 
  
と彼女は思った。
 
 
そして、その夜、上司を問い詰めて、彼女は自分が騙されて、利用されていたことを知る。
 
・・・・・
 
男の言葉は女を操るツールだ。男は女を操るためならそのツールを十分に使いこなすことができる。女はその言葉がウソかもしれないと思いつつ、自分にとって心地よい言葉を言われると信じてしまう。
 
男の言葉で、騙され、傷つき、泣いてゆく女性を何人も見た。
 
聡明な人、と思っていた女性が、男の言葉に簡単に騙されてしまう。男の口先から飛び出る無形のツールに。
 
幼い子どもが騙されるように。
 
・・・・・
 
その名刺入れに触れた瞬間にその女性の悲しみと、怒りと、失った2年という時間、そして消え去った希望を感じることができた。
  
 
そして、いま、その瞬間、自分の部屋で泣いている彼女の姿を。
 
 
・・・・・・・
  
そして、また僕は感じた、その上司がほほ笑む顔を。その上司が自宅へ戻る車の中で。
 
彼は、二人目の子どもが生まれる前に彼女との関係を絶ちたかった。妻との離婚を迫り始めた彼女を面倒に思っていた。だから、彼女が自分たち夫婦を街中で見かけてくれて、このような話の展開になって良かったと思った。
 
頭がよく、30過ぎまで仕事のキャリアを積んできた彼女のことだ。会社で自分たちの仲をばらすようなことはしないだろう。数ヵ月は気まずい関係が続くかもしれないが、いずれ時間が経てば解消するだろう。俺も異動が近い。しばらくガマンすればいまの職場を離れて、そうしたら、何も問題なく、収まるだろう。
  
 
その男のそんな憶測も感じた。
  
 
・・・・・・
  
 
モノに触れるとそのモノの歴史、記憶を感じることができる、という能力もいいことばかりではない。
 
しかし、僕はこれまで生きてきた40年という時間の中で、いくつもの想いや感情をモノから感じてきた。
  
  
その感じてきたことについて、少しずつ語ろうと思う。
 




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