2016年5月10日火曜日

深く、強い手


~長文です。お時間あるときにどうぞ~
 
 
8月中に私との将来について結論を出してほしい、と彼女に言われていた。12歳年下の彼女は来月28歳になる。
 
彼女と出逢ったのは偶然だった。2年前、友人が主催するグループ形式のワークショップに参加して、同じグループになったのが彼女だった。 金融機関に勤務する誠実さと少女らしさを併せ持った女性だった。長い黒髪と背筋を伸ばして椅子に座る美しい姿が彼女の内面の強さを表していた。僕は、ひと目見て、彼女に惹かれ、ひとこと話して彼女に恋に落ちた。そんな恋だった。 彼女と過ごした2年間、少女らしさを残していた彼女が真の大人の女性に変わって行くのを見ることができた。それはステキな時間だった。
 
しかし、同時に彼女に対して罪の意識も感じていた。彼女との恋愛が普通の恋愛であったならば、彼女は少女らしさを残した誠実な女性のままだったかもしれない。でも、僕は結婚していて家族もあり、僕と彼女は不倫関係にあった。そう、彼女にはつらい思いをさせていて、それが彼女に心的変化を促していたからだ。
   
  
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その年の夏、白馬岳(しろうまたけ)に登りたい、と言い出したのは妻だった。白馬岳は長野県の北アルプスにある標高2932メートルの山だ。妻は小学生の頃、家族で登ったことがあって、とても楽しい思い出があると言っていた。自分も大人になって家族を持ったら登ろうと思っていて、今年、娘も6歳になって脚力もついたし、妻も6歳で白馬岳に登ったから、今年は白馬に登りたい、妻はそう力説した。
 
妻の家族は家族仲がよく、妻の家族が登山のようなことから家族仲を強めてきたのであろうことはよくわかった。そして、いま、妻は妻なりにいまの家族~僕、妻、娘~について何かを感じ、その結束を強めたいと願っているようだった。
 
私としては仕事が忙しく、精神的に余裕がないこと、お金も時間も使いたくないこと、さらに金融機関に努める彼女とのこともあって、家族旅行は控えたいと思っていた。とくに登山のような危険を伴うスポーツは、ここしばらく運動不足になっていたので避けたいと思った。ここでケガをして仕事や生活に差し障りが出ても困る。
 
しかし、夏休みにイベントが欲しいという妻と娘の説得に勝てず、白馬岳登山に出かけることにした。7月最終週に休みを3日取った。
  そして、登山に出掛ける前日の夜に彼女に会ったところ、来月中に、自分との関係の結論を出してほしいと迫られた。長い黒髪を指で梳きながら。彼女の細い指をつやのある黒髪が流れてゆく。
妻と離婚して彼女と再婚するのか、彼女と別れるのか、来月中に決めてほしい、彼女は言う。彼女の年齢もあり、彼女がそのように問うてくるのも当然だと思った。 どちらにしても、9月から新しく次のスタートを切りたい、と彼女は言った。
 
あなたを信じている、とも彼女は言う。
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彼女のことは好きだった。ひとりの女性として、ひとりの人間として。12歳年下だったけれど彼女の勤勉さ、誠実さには強く惹かれる部分があったし、この女性と共に暮らしていけたらと思う気持ちも強かった。真面目すぎて息が詰まるところもあるけれど、二人のときに見せる甘える態度はかわいらしく、何より美しかった。女性が、最も美しくなると言われる28歳に向かって共に時間を過ごせたのは僕にとっても貴重な経験だった。
  一方、妻のことも好きだった。好きという感情は結婚8年も経つと薄れてきて、そばにいてくれる感謝の想いさえ薄れてきていたけれど、自分の娘を産んでくれたし、次の子どもも産みたいと言ってくれていた。とてもありがたく思う。男にとって自分の子どもを産みたい、と言ってくれる女性はうれしい存在だ。大切にしたい。 
  しかし、妻の自分に甘い性格や、言い訳が多いところにはうんざりしていた。僕は自分に厳しく、ストイックな性格な方だけれど、それを妻に求めると、妻はそのようなことはイヤという反応だった。妻と僕とは別の人格、とはわかっているけれど、妻に自分を求めてしまうのは、自分の幼さだったのかもしれない。 妻にない部分を外の彼女に求めてしまうのも僕の幼さだったのかもしれない。 その幼さも積み重なって行くと、いつしか心の距離が広がって行く。まるで彗星が太陽から離れてゆくように。
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白馬岳ふもとの山荘を出発した時点で計画から1時間ほど遅れていた。妻の寝起きが悪く、出発の準備が遅れたためだ。確かに前日、松本城に寄るなどして山荘に着く時間が当初予定を3時間ほど遅れ、就寝時間も遅くなった。妻は僕と娘が寝入った後も、荷造りなどを改めて行ったため、寝ついたのは午前1時過ぎになってからのことらしい。 睡眠不足は登山にはまずい、集中力が途切れ、高山病にもなりやすいから早く寝るようにと言っておいたのに、寝るのが遅れ、さらには起きるのも遅れた。その結果、山荘の出発も遅れたのだ。妻のこういうところが僕をいらだたせる。
 
   
当初の計画では午後1時頃には、ゴールとして山頂にある白馬山荘に着いている予定だったから、順調に進んだとしても到着は1時間遅れて午後2時頃の到着になる。何かあればさらに遅れる。
 
 
山での時間は貴重だ。山での遅れは生死に直結する。
 
   




 
白馬岳は大雪渓が有名で、全長3.5キロ、標高差600メートルの万年雪の大パノラマが広がる。両前方に広がるうつくしい山肌も感動的な景色だ。 その大雪渓に到着し、登り始めたのは午前7時頃だった。ふもとの山荘を出発してからここまでの所要時間はコースタイム通りだったけれど、当初の時間が1時間遅れていたからやはり大雪渓への到着は1時間遅れていた。もともとは6時頃から大雪渓にアプローチする予定でいた。 しかし仕方ない、過ぎたものは取り返しがつかない。僕は当初立てた計画に固執し、フレキシブルにできない傾向がある。実際に、時間が遅れた今、このまま進むしかない。予定はあくまで予定だ。当初の予定を適宜変更してこそプロジェクトは進む。
  大雪渓を中ほどまで進んだところで、当初の予定時間から2時間ほど遅れていることが分かった。妻の体力が思った以上になく、進みが遅かったのだ。
  まずいな、陽があるうちに山頂の山荘までたどり着けるだろうか。
 
  
大雪渓の左右に広がる屏風岩の山の尾根から、時折、落石の音が聞こえる。からんからん、ころんころん、ごーんごーん、どーんどーん。落石音に気づいて山肌を見つめると、大きな石や小さな石が落ちてきているのが見える。あの石はどのくらいの大きさだろうか。50センチはあるようにも見える。落石は何百メートルも先のことだから直接、自分のところに落ちてくることはないのだろうが、それでも心配にはなる。イヤな音だ。
   
 
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    落石があったら、逃げるな、後ろを向くな。落石を見続けて、最後の瞬間に逃げろ、たとえどんなに大きい石であっても、当たらなければ怪我はしない、死にはしない。
  そう山登りの先輩言われた。キャリア40年にも及ぶ山登りの先輩だった。日本中の山を登りつくしている先輩で山の雑誌にも寄稿している人。業界では有名人だった。僕はたまたま高校の後輩だったというだけで、とてもかわいがってもらった。
  お前、山の魅力って何か知っているか??と先輩は言う。 わかりません、と僕は答える。 山ではな、自分を見つめ直せるんだよ、と言い、それ以上は語らない。不思議な先輩だった。
  
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  あの先輩も亡くなって、5年になるだろうか。8名のパーティーを引率して登った北アルプスでメンバーの1名が滑落したのを助けようとして、一緒に滑落してしまった。先輩らしい死に方だなと思った。先輩はメンバーの滑落に自分自身を見出したのだろう。
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  白馬岳の大雪渓の登山を当初予定を3時間オーバーし7時間で終えると、お花畑と言われるエリアを過ぎ、稜線まであと1時間ほど、というところになったとき、雷雲が近づいてきているのに気付いた。 時間は午後2時、山の天気が崩れ始めてもおかしくない時間だった。 まずい。
  遠くから雷鳴が聞こえてくる。そして近づいてきている。
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  雷の怖さは知っている。山の先輩から聞いていた。 山の雷は気を付けろ、と先輩は言う。 山の雷は上から落ちてくるだけじゃない、下から山肌に沿って上に襲ってくる。右から、左から、前から、後ろから、アイツらは襲ってくる、龍やヘビのように。雷に囲まれたら覚悟を決めろ、死を意識しろ、そして祈れ、雷が落ちないことを。自分は救われるはずだと。
  実際、先輩は何回も雷に襲われ、地表を素早いヘビのように這ってくる雷をほんの数メートル先で交わしたこともあったらしい。雷をぎりぎりまで見つめて直前で逃げるんだ、と先輩は言う。あれに打たれていたらオレは今頃死んでいたよ、と先輩は言う。
  俺はついている、ラッキーだ、たまたまだと。
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  白馬岳のお花畑と呼ばれるエリアを過ぎたころ、急に日が陰ったことが分かった。まだ雨は降らない、雷も鳴らない、ただ視界が悪くなっただけ、数十秒~数分すれば視界は晴れる、たまたま雲にかかっただけ。 自分なりに気持ちを落ち着かせようとすると、徐々に雲は晴れていった。僕の心を惑わせる雲も、すぐに去って行く。
しかし、怖い。周囲の登山客も数が少なくなっている。みな先に登り切ってしまっている。僕たち家族は遅れている。あとから登ってくる人の姿も見えない。助けを求められる人はいなくなるかもしれない。自分たちのことは自分たちで責任を取らなければならないことになるかもしれない。
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  私と家族のどちらを選ぶか、決めてほしい、彼女は言う。 私は私の人生を損したくない。 あなたのことは好きで、一生一緒にいたいとも思っている。でも、あなたとの未来が見えないのであれば、私は決めなければならない。 彼女は言う。キレイな瞳で、大人になりつつある女性が見せる、その時期、特有の美しさと、はかなさで。
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  私たち家族3名が、山の稜線に着いた瞬間に500メートルほど先の山肌に稲妻が落ちた。妻も娘も大声を上げて立ちすくんだ。 まずい、と僕は思った。あの落雷を受けたら家族が全滅する。
 
稜線に着いた時点で娘は元気だったが、妻は消耗していた。疲労のピークだった。早く歩けと言っても妻は歩けなかった。一方、娘は元気だ。走ることもできるだろう。僕も元気だ。
  しかし、僕は走ることはできるけれど、3人分の荷物が入ったリュックサックが重かった。ジャマだった。このリュックさえなければ、この重ささえなければ、僕も走って逃げることはできる。 しかし妻はムリだ。妻はいま走ることはできない。疲れすぎていて、歩くのもやっとだ。もし雷が来たら、と考える。もし雷が来たら、妻を置いて逃げるか??娘と僕の二人で逃げるか??
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  そんなことを考えているうちに、雷がさらに近づいてきているように思えた。稲光はその明るさを増した。
 
さて、どうする、と僕はできるかぎり冷静になって考えようと努めた。 もし、雷が最接近してきたらどうするか。雷に取り囲まれたら?
  
  選択肢はいくつかあった。  
ひとつめ、家族全滅でもいいから家族全員一緒にいて雷に立ち向かう。 雷だって当たらなければケガしない。ギリギリでも避ければいいのだ。
   ふたつめ、雷に立ち向かうとしても、家族全滅にならないよう、家族で距離を置いて、隠れるところに身を隠して、雷をやり過ごす。
 
この場合、落雷があったとしても、家族それぞれに距離があるから、みな一斉に感電してケガをしたり、命を失ったりは避けられるかもしれない。山で雷にあったら離れて非難しろと、山の雑誌に書いてあった。 私たちは山の初心者だ。山の天候や、山での悪天候の対処法を完全に知っているわけではない。落雷で感電して死んでしまうかも、と思った。翌日の新聞に載るであろうニュースや、妻と私の両親や友人・知人たちに伝わるであろう知らせなどを思った。  
  僕の人生もここで終わりか、と覚悟した。
  あるいは、娘一人だけ、山荘に避難させるか。稜線に登ったところで山荘は見えていた。それでも時間にして1時間から1時間半はかかるだろう。娘には走ってもらって山荘へ避難してもらおうか。彼女はまだ若い。未来がある。彼女一人だけでも生き残ってくれれば、私たちの命は続く。私と妻は30代とはいえ、娘の未来に比べれば残された時間は短い。娘一人だけでも生き延びさせるべきではないか。 それとも両親である僕や妻と一緒にいさせて娘の未来を絶つか。
  さらにはこんな選択肢も思った。
  僕が家族を裏切って残して逃げる。荷物も家族も捨てて走って山荘へ逃げる。
 
妻のことは好きだった。大切な人であることは間違いがない、僕の人生のなかで、重要な位置を占める人。 しかし、恋愛当初や結婚当初の感覚とは違っていた。結婚8年も経ち、うんざりとした、イヤになる感覚もあった。 結婚ってそういうものだ、と山の先輩も言う。先輩は奥様とはとても仲が良い方だったけれど、その先輩が言うのでそうなのだと思った。 恋は冷める、そして愛になる。先輩は言った。 妻への恋は愛にならない、その時思った。その恋は僕の重荷にしかなっていない。
  体力がなくて山登りはムリだと言ったにもかかわらず山に登りたいと言った妻のわがまま。それを許した自分。家族で山を楽しみたいと思った娘の純粋さ。そのようなことがない交ぜになって、僕の心を締め付けた。
  このまま家族全員で死ぬのならば誰かが生きて、次の人生を生きるべきでは??それは、娘?僕??妻?? 僕が妻と娘のそばにいても、落雷によって全滅してしまうかもしれない、そうであれば一家分離して誰かが生き延びる確率を上げるべきか??たとえ誰かが死んだとしても、それは生物学的には正しいのかも?生物が生き延びることが目的であれば、誰かが家族を残してでも、生き延びることが正しい選択では?? そんな風に思った。
雷が少しずつ、僕たち家族に近づいてきている気配を感じる。決断は迫られている。
  彼女との決断についても思った。28歳になる金融機関に勤める彼女。美しい女性に転身した彼女。彼女とのことも考えた。彼女はいま僕がしなければならない決断についてどのように言うだろうか。僕が生き延びて聞けるのであれば聞いてみたいと思った。 仮に僕が家族を山で捨てたとして彼女は称賛してくれるだろうか。 家族ではなく、君を選んだと言ったら彼女は何と言うだろうか。
  そのとき、どーん、とものすごい音がして落雷があったのは200メートルほど先のことだ。まばゆい光と、耳に突き刺す音と、身体を突き抜ける振動があった。
  

   娘が驚いて泣き始めた。泣くんじゃない、と僕は思った。泣くと気持ちが冷静ではいられなくなる。
その直後に雨も降り始めた。大粒の雨が僕たち家族を襲う。 ひょうも交じっているのではないかと思われるほどの大きな雨粒が僕らを襲った。 氷の塊が身体にあたって痛い。
  ここで死ぬのも悪くないか、僕は思った。家族と一緒だし、結論を迫る彼女とも直面しなくて済む、仕事は僕以外の誰かが引き継いでくれるはず、僕の代わりになる人なんてたくさんいる。自分の命は社会的にそれほど価値のあるものではない、親や兄弟にとっては僕らが死ぬことは悲しいことだろう、ほかに替わるものがないから。 ただ、社会全般にとって、僕らの死は新聞やテレビでのニュースでしかない、本日昼過ぎ、白馬岳稜線付近で一家三名が落雷により死亡しました。これにより今年の山での死亡者は○名になりました。 というような、そんなニュースにさえならない、プライベートなニュース。
 
 
雷鳴が近づいてくる。空がゴロゴロ鳴っている。先ほどは200メートル先だったのはいまは150メートルか、100メートル。稲光も光る。
  もう、終わりか、と僕は思った。ここで僕の人生も終わり。
 
 
僕は自分の人生を振り返った。人生の重要なシーンが頭を巡った。小学校の入学式、遠足、運動会でクラスの代表でリレーに出たこと、母親の膝枕で耳をきれいにしてもらったこと、初めての恋、初めての挫折、いまの会社への就職、妻との出会い、娘が生まれたときのこと、彼女との出会いなど、いろいろ。 楽しい人生だった、というのが実感だった。やり残したことはある、28歳の彼女に別れの言葉を残さずに去ってしまうことに悔いはある。また、もっと真剣に生きればよかった、仕事に全力を費やせばよかった。 後悔は多い、でもそれはそれだ。それも僕の人生であり、僕という命の使い方だ。命を使い切ったとは言えないけれど、それはそれで僕の生きざまなのだ。
  そんな風に思った。
  落雷が50メートル先であろうか、すぐ目の前に落ちたときに娘と妻が叫んだ。いやだ、こわい、逃げたい、死にたくない、そんな風に。  
  でも僕は覚悟を決めていた。すべてスローモーションだった。稲妻が瞬くこと、落雷の大きな音もすべてゆっくりで、静かだった。すべての時間が一コマ一コマ進んでいるように思えた。 僕の人生もこのように進めばよかったのに、と後悔した。そのように僕の人生がゆっくり進めば、人生の選択も誤らなかっただろうに、人を傷つける言葉も言わなかっただろうに、僕を裏切った人、僕が裏切った人たちに、よりあたたかい言葉をかけられたろうに。
 
 
そんな後悔が頭を巡った、稲光よりも早く、雷鳴よりも大きく。
  
 
 
お父さん、座って、と娘が叫ぶ。立っていると危ないから。
 
 
 
力なく、佇んでいる僕に 娘が叫ぶ。
 
    手をつないで、お願いだから手をつないでいて、と娘が言う。 6歳の娘が、死ぬことについて何も知らないであろう娘が、人生について何も知らないであろう娘が、言う。
  
   かわいそうな娘、6歳で死んでしまうかもしれない娘、恋愛も経験せず、おいしいものも食べずに死んでゆくかもしれない。 妻はおびえて泣いている。膝を抱えて泣いている。妻も死ぬかもしれない、決して幸せとは言い切れない結婚生活を僕から提供され、このような大雨が降り、落雷に見舞われる山の稜線で妻は死んでゆく。哀れな人生だ、申し訳ないな、僕と一緒にならなければ、もっと良い人生を送れたかもしれないのに。
 
 
 
娘が叫んで言う、お父さん、お願い手をつないでいて、怖いの、怖いから手をつないでいて、お願い、手をつないでいて、お願い、手をつないでいて。
 
 
お父さん、手はつなぐためにあるの、だからお願い。
  泣きじゃくる娘の顔を見ながら僕は娘の手を握る。とても小さな手、なめらかで、傷一つさえない手。人を好きになったこと、男性の手を握ったこともなく、手で愛を語ることもなく、今日で命を終えるかもしれない手。
 
妻の手も握った。38年間の短い人生を終えるかもしれない手。思ったよりも小さくか弱い手。そうか、妻はこんな小さな手で人生を生きていたのだな、僕が家族をないがしろにして、心理的に妻につらい思いをさせたり、僕が彼女を裏切っていた間にも彼女はこんな小さな手で懸命に生きていたのだ。
   
雨が降る。多くの、多くの雨が降る。天が泣き叫んでいるかのように、多くの雨が降り、雷鳴がとどろく。
   
僕は思った。そして涙が出た。
 
山の稜線で大量の雨に降られながら僕は自分が涙を流すのがわかった。深い後悔と長い懺悔。自分の人生に対する悔い。その思いから自然と涙が流れてきた。 涙は、雨に混じらない、心からの想い。
  そんな風に思った。
 
 
そして、私たち家族は手を握り合った。僕は娘と妻の、妻は僕と娘の、娘は僕と妻の。 死を覚悟しながら、雷鳴の大雨に打たれて、あと数秒後には命が終わると覚悟しながら。
 
 
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あの時の気持ちを何と表現したらよいのだろう。 神がその長い沈黙を破り、我が家族に舞い降りてきてくれたように思った。
  
光とともに、山の無音の景色とともに。  



   
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私たち家族が手を握り合い、命の終わりを覚悟した瞬間、雲は晴れ、雷は去った。雷がまるでなかったかのように、大雨が降っていたのがウソだったかのように雨がやんだ。
 
 
天が雨を止ますことに、何の後悔もないかのように。
 
 
 
そして、思った、山の神が、山の風が、山の鳥たちが、山の草花が、そう山のすべてが、そして、太陽、さらには山で滑落して亡くなった先輩が、僕たち家族を歓迎し、祝福してくれていると。  
 
 
君たち家族はまだ生きろ、ここで命は奪わない、お互いのためにもっと生きろ。
 
 
  僕たち家族はその場にしばらく留まり、身支度を整えて、改めて山荘に向かって歩き始めた。全身は雨でぬれてしまって体は冷えていたけれど、心のどこかにあたたかい希望があった。
 
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  山頂にある白馬山荘で一泊し、翌日、登山を終え、山のふもとに帰ってきたあとで、僕は彼女にメールを打った。 彼女の想いを裏切ることになるし、彼女の夢を断ち切ることになるのだけれど、僕の心は決まっていた。僕は家族と共に生きる。彼女と生きることはできない。  
   彼女宛のメールに、次のように書いた。
  ごめん、大変申し訳ないのだけれど、僕は山で大切なものを見つけた。それは家族だった。山の神は僕たち家族にいま一度チャンスをくれた、家族で力を合わせて生きろと。 だから君とはもう付き合えない、僕の君への想い、過去に言った言葉、過去の行動にウソはなかったのだけれど、いまの僕は過去の僕ではない。だから、ごめん、僕を嫌ってもいい、憎んでもいい、僕に何を思ってもいい。僕とわかれて、君は君で幸せになってほしい。
 
詳しくは会って話したい。 また会おう、もし君が応じてくれるならば。
 
 
そんなメールだった。
 
そして、数分後、彼女が細い指で携帯電話を操り、メールを開いたことが、感覚的に察することができた。僕にはそういう能力がある。不思議なことだが、ときに、遠く離れた人の行動を感じることができる。
そして彼女は泣き始めた。細い指をした美しい手を口元に充てて、声を殺して、涙を抑えて、心で泣き始めるのがわかった。
 
 
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白馬岳のふもとから車を運転して自宅への帰る道の間、今回の登山で軽い傷をした自分の手を観ながら、娘が言った、手はつなぐためにある、という言葉を思い出した。
 
 
 
  そう、この手は誰かの手とつなぐためにある。
 
   
  僕は愛する人と手をつないで生きてゆこう。
 
 
深く、そして、強く。
    
そんな風に思いながら、僕は家へと車を走らせていた。 僕の贖罪を山に残したままに。
 
 
 

2016年5月7日土曜日

3つめの選択

北海道の海上保安庁から私宛に電話がかかってきたのは、ちょうど1週間前の日曜日の午前のことだった。
 
横浜港から北海道苫小牧港へ向かったフェリーから下船するべき乗客2名がかけていて、海に転落した可能性があるとのこと。その2人のものと思われるバックがフェリー内に残っていて、しかし、二人の身分を証明する財布、携帯などは残っておらず、唯一女性ものの名刺入れの中に1枚名刺が残っていた。それが私の名刺だった。
    
 
「おそらくカルティエの名刺入れではないですか?黒い皮製で正面左下にシルバーの金具がついている」
  
   
そうです、と海上保安庁の職員は言い、二人のことをご存知でしたら、詳しく教えていただけますか?? もう1人は男性のようなのですが、と訊ねてきた。
  
 
2人のことを、詳しく・・・
  
 
私は何から話せばよいのだろうか。
  
 
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女性は内省傾向の強い謙虚で背の高い美人だった。内省傾向の強い女性が一般的にそうであるように多くの友だちと接するよりも、少数の友だちと深く付き合いことを学んだ。週末は家にいることを好み、読書が何より好きだった。
  
「本がある生活が好き」というのが口ぐせだった。
  
そして、悲しい瞳の笑顔を作った。 彼女が常に何を考えているのかよくわかる。自分への反省、自虐、落ち込み、思慮、ふりかえり。彼女は常に思い悩んでいて、悔やんでいた。常に自分を責め、周りから距離を取ろうとした。
 
 
そして、「死」を考えていた。いつも、いつも。
  
 
 
彼女の想いはよくわかる。そう、私の亡くなった以前の恋人によく似ていたからだ。
  
  
  
   
一方、男性は軽さ、言い換えれば、精神的な頼りなさが魅力の男性だった。彼の危うい言動、思考、態度は、周囲の者を不安にさせ、驚かせ、そして嫌悪させた。しかし、それ自体が彼の魅力であり多くの者を惹きつけた。 とくに女性にとっては、たまらない魅力を持った男性に映ったのであろう。多くの女性がその魅力にひきこまれてゆくのを何度も見たことがある。
  
  しかし、その結果、彼は彼自身の生活を拘束させるような結果となった。いまの結婚相手との間で法律的な拘束力があるしばりが多数できあがったのだ。そのせいで彼は暗い影に覆われていたけれど、それも彼の性質に起因するものだから、すべての原因は彼にある。。
  
   
そんな二人がお互いに惹き合うことは当然だったのかもしれない。影は影に惹かれあうのだ。
  

  
2人は出逢うとすぐに急速に距離を近づけていき、深い深い関係になった。
 
  

しかし、彼らの蜜月も長くは続かず、周囲の反対、抵抗を受けることとなった。そのなかで彼らの恋愛はさらに盛り上がりを見せたのだけれど、それでも、最終的に彼らに次の3つの選択肢しかなかった。
  
1.続けて成就させる
2. やめて別れる。
  
そして、3つめ。
  
私は海上保安庁からの電話で3つめの選択肢を彼らが取ったことを知った。
     
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私は彼らの共通の友人だった。彼らが存命のとき、私は彼らにそれぞれ言った。
   
あなたが愛しているのは彼/彼女の本当の姿ではなく、彼/彼女に投影されたあなた自身であると、あなたが愛しているのは、彼/彼女ではなく、あなた自身の影であると。
   
 
しかし、彼らはその意味を理解することなく、海の中に散って行った。
   
  
自分自身の影への愛を、相手への愛であると信じて。それが真の愛であると信じて。
  
 
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私は願う、彼らの魂が海に漂わず、天に召されることを。
   
 
彼らが最期の瞬間まで自分たちの誤解に気づかず、最期の時を迎えたことを。
  
 
そして、私は祈ろう、海のなかで、空のうえで、彼らの魂がひとつに固く結ばれることを。
  

あじさい

~超長文です。お時間あるときにどうぞ~
6月の雨が数日間降り続いているせいで、この街や世界は灰色一色に覆われていた。そのなかで、整体院の窓の外に見える あじさいだけは、彩り鮮やかに咲いていた。
 
私はあじさいが好き。あじさいは雨に打たれながら明るく咲く花だから。
 
私が整体院でアルバイトを始めて2か月以上が経った。長い間、専業主婦だった私は、3月下旬に肩を痛めて肩が上がらなくなったとき、急いで近所の整体院の予約を取って、先生の治療を受けた。治療は順調に進んだのだけれど、3回目の診療を終えたときに、先生から
 
「当院で働いてみませんか?」
 
とお声掛けいただいた。ずっと専業主婦だったけれど、先生の印象も好意的だったし、自宅から近いこともあって、受付や事務をさせていただくことになった。とても温和な先生でとても働きやすい職場だ。
 
この整体院は完全予約制で、予約はだいたい埋まっている。先生の腕が良いらしく、ご近所のご年配の方から遠くの街の高校生など、主婦、OL、会社員、男女問わず、お客様としていらっしゃる。人気の高い先生だ。
 
人気の高さは先生の腕もあるが、先生の人柄の良さとあると思う。いつも、おっとりと静かで、世界を達観したような雰囲気がある。しかし、今年63歳になるとは思えないほど、身体は鍛えてあって、ムダがない。

「先生って、仙人のようですね。修行僧とか」

と冗談で以前言ったら、そうかもしれないですね、と真面目に返されたことがある。軽い笑顔とともに。
 
そう、とても、誠実で、そして、ストイックな方なのだ。

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その日、予約されていたご年配の方が、体調を崩されて、来院できなくなったため、1時間ほど空き時間が出てしまった。先生は5分ほど事務作業をした後、私と一緒に整体院の窓から外を眺めながら、話をして過ごした。
 
「○○さんは、どのようにしてご主人と出逢われたのですか?」
 
と先生が私に訊ねた。話の流れでそのような話になった。
  「大学の同級生だったのです」と私は答える。
 
「同じ大学の同級生で、大学の入学式の日、私に夫にひと目ぼれされまして(言うのも恥ずかしいですが、、、 )
私、目鼻立ちがはっきりしていて、外国人ぽいし、その日、スーツを着ていたのですが、そういうのが夫は好きだったらしくて」
  整体院の窓の外を、母親と子どもが傘を差しながら通り過ぎるのが見えた。子どもは雨降りが楽しそうで、黄色い傘とレインコートがグレーの世界に映えて見える。
  「でも大学の頃は付き合うとかは何もなくて。クラスも違って、部活も違っていたから話したりする機会はあまりなくて。でも、お互いの存在は知っていました。私は彼のことを、いつもにこにこしている温和そうな人だなぁ、と思っていました。
一方、彼は私にずっと片思いしていたみたいです。なかなか告白などはしてくれなかったのですけど。
でも、告白されても困ってしまったと思います。
 
そのころ、私にはずっと片思いしている人がいて。高校の先輩で、遠距離でめったに会えるわけではないのですけど、何となく想い続けていて。その方にずっと憧れているような心境が続いていて、ほかの人は考えられなくて。いまから思うと幼い恋なのですけどね。
 
大学中、何回か、主人から2回くらいデートに誘われたのですけど、そういう気にならなくて。それで大学中は何もなく、終わって行きました。彼には申し訳ないな、と少し思いました」
 
 
そのとき、郵便局員が郵便を届けにきて、私がサインをして郵便を受け取った。先生は私と自分の分のコーヒーを淹れてくれた。
 
コーヒーを飲みながら、先生は話の続きをするよう私をうながした。私は話しを続けた。
 
 
「お互いが29歳になったときに、本当に偶然なのですけど、駅の構内で会いまして。その日の夕方、会社が終わった後に私は急いで電車に乗って行かなければならなくて、駅の改札に向かって歩いていました。彼は駅の改札を出て、コンコースを歩いて、会社に戻るところでした。彼の会社は駅前にあったのです。
そして、ふと気づくと再会していました。あれ、知っている顏が目の前にある??、と言う感じで。ちょっと驚きで。」  
  私は軽くコーヒーを口に含んだ。話し続けて喉が少し乾いていた。
  「彼は大人になっていました。最後に会ったのが22歳のときで、それから7年経っていたので、少しあかぬけたというか、おしゃれになったというか。なんとなく、学生時代よりいい感じだな、と思いました。 彼から名刺をもらったので、その日のうちに名刺に書いてあったメールアドレスにメールを送ってみることにしました。あまり深く考えてはいません。なんとなく、一度会って話してみたいなと思った程度で。そして、翌週会うことになって、食事をしました。 彼と会ったとき、楽しかったです。自然体でいられたというか、学生の気分に戻れたというか。共通の友人の話などをして盛り上がりました。そして、その日は食事をして終わりました。
 
 
私はバス通勤でしたので、駅前のバス乗り場まで彼が送ってくれて、バスが来た別れ際に、また会おうよ、と言われて、OKして。 その週末、2回目のデートをすることになったのですけど、そのときに、車で、何も言わずに結婚式場につれて行かれたのです。突然。 この式場どうかな??と彼が訊ねるのです、意味が分からず戸惑う私に。
 
運命を感じたから、と彼が言いました。
 
それが実質的なプロポーズでしたね。」
 
 
先生はコーヒーを飲んで、手で包むようにコーヒーカップをもって、見つめた。先生の眼はいつもやさしい。なぜそんなにもやさしい目をしていられるのか、いつか聞いてみたい、と思う。  
 
 
私は話を続けた。
 
 
「そして結婚しました。結婚して、13年が経ちました。いろいろありましたけど、まだ楽しく暮らせているから、いいかな、と思っています。」  
  先生はうなづいてくれて、窓の外を眺めた。窓の外には駐車場に咲くあじさいが見える。色にあふれた美しい花。
 
  「先生は結婚されないのですか??」と、私は訊ねてみた。
  先生は63歳になるけれど、独身で家族はいないらしい。結婚したことがあるのかどうか、も知らなかった。
  先生は少し考えた後で、ゆっくりと答え始めた。
  「私は、結婚もそうですが、これまで女性と一度もお付き合いしたことがありません。」
  と先生は丁寧な言葉づかいで言う。スタッフの私と話すときもいつも敬語だ。
  「私は子どもの頃から、ずっと、女性が苦手でした。できれば関わりたくない、と思っていました。かといって、男性がいいというわけではなくて、男性にも興味はないのですが、それ以上に女性に興味がない、というか関わってほしくなかったのです。」
  先生はコーヒーを飲んで、続けた。
  「私が何歳ごろから女性に苦手意識を持っていたかわからなかったのです。気付いたら女性のことが苦手でできれば関わりたくない、と思っていました。
  いまの整体の仕事を始めるときも、できれば、男性限定でやれればと思っていました。しかし、仕事上どうしても女性も受けなければならないし、女性を受けるときにはあまり性は意識しないで仕事をするようにしていました。最初は生理的な嫌悪感、抵抗感もありましたが、年数を経るうちにその気持ちをコントロールできるようになりました。」
 
  整体院の前の道路を大型のトラックが走って、建物全体が揺れた。道路に面した整体院として、道路を通る車、通行人などの影響を受ける。今回のように建物が揺れたり、通行人の話し声が聞こえたり。それが嫌というわけではなくて、外部と内部の境界があいまいで、内部は外部を含み、外部は内部を含んでいる、という感覚を私は持っている。
 
外に降る雨は整体院の中を濡らし、整体院の中の温かな雰囲気は外の空気を穏やかにする。そういう感覚。  
 
 
「そして、先日、ふと思い出したのです。私がそのように思う原因を・・・」
  そのとき電話が鳴って、私が対応した。翌日に予約が取れるかという問い合わせだった。大丈夫です、と答えて予定表にメモして先生の元に戻った。
  「記憶喪失、もしくは記憶の抑圧、というのかもしれませんが、この件について、自分の記憶というものを信じられなくなりました。あるいは自分の抑制力の強さ、というものがすごいのだな、とも思いました。」  
はい、と私は言う。
  「あなたが中学生だったこと、学校の先生はやさしかったですか??」と私は問われた。
  そのように問われて、私は中学校時代の先生を思い浮かべてみた。基本的にやさしい先生が多かったし、中学校時代にイヤな思い出はあまりない。
 
 
やさしかったと思います、と私は答えた。
 
 
それは、よかったですね、と先生は答えた。


「いまから50年以上前のことにりますが、私の中学1年生の担任は最悪でした。ひどい先生でした。 人のことを悪くいうことは好きではないのですが、彼に限っては言わせていただくと、粗暴で、頭が悪く、下品で、人の心を平気で傷つけて、暴力も振るって、お酒くさくて、常識がなくて、同僚の先生からも嫌われていて、学校の教員にふさわしい人物ではありませんでした。
 
 
現代の教育制度でしたら、絶対に教員になれる人物ではありません。まず無理でしょう。。。
  しかし当時は戦争が終わって、20年しかたっておらず、日本全体はまだ貧しく、そのような人物を教員にすべきかどうかを選考しておける状況にはなかったのだと思います。 人格的に問題のある人物であっても、とりあえず決定的な欠陥がない限りは、教員にしておかざるを得ない状況であったようです。 そして、そのような人物が私の担任でもありました。中学1年の入学式に彼が担任だとわかって非常にイヤな思いがしたことを今でも覚えています。そのようなイヤな教員がいることは近所の中学生の先輩から聞いていましたので。」
  先生はコーヒーを一口飲んでつづけた。
  「中学1年の6月に私はある女子生徒から恋文をもらいました。ラブレターですね。6月のある朝、学校に行って、教科書などを机の引き出しに入れようとすると、手紙が入っていることに気づきました。 かわいらしい和柄の便箋で、あじさい の絵が描いてありました。 私はびっくりしました。そのような手紙をもらうのは初めてでしたから。」
  先生はコーヒーを飲んで、しばらく考え込んだ。私は黙って、先生が話を再開するのを待っていた。
  「1時間目の授業中、私はこっそり手紙を取り出して、封筒に差出人名が書いてあるか見てみました。手紙自体はまだ読めていなかったので、封筒を見てみたのですが、差出人名は書いてなくて、誰が書いたかわからなかったのですが、私はある女子生徒からだといいな、と思いました。 私はクラスに憧れている女性がいたのです。初恋、というと大げさかもしれませんし、当時は13歳という年齢でしたからそういう気持ちを 恋 と名づけてよいか、わかりませんでした。なんとなく、淡い、心休まる気持ちを彼女に対しては持っていました。
  その日の 2時間目の授業は音楽で音楽教室に移動しなければなりませんでした。1時間目と2時間目の授業の間に私は他のクラスの友だちに話をする必要があり話をしていたら、休み時間が終わってしまって。急いで教室に戻って、机から音楽の教室や縦笛などを取り出して音楽教室に向かいました。 そのとき慌てていたものですから、どうも教室でその手紙を落としてしまったようなのです。 そして、その手紙をその最低な担任教師が拾い、3時間目の初めにみなの前で追求し始めたのです。 この手紙を書いたヤツはだれだ、と」
   外の道路を大型トラックがまたとおって、整体院の建物全体が揺れた。心まで揺さぶられるようなイヤな揺れ方だった。
 
 
「非常につらい時間でした。その教師の変質者的なところが全面に出た追及の時間でした。」
 
・この手紙は恋文のように見える。
・お前たちのようなガキどもに恋文なんかを書いている時間はない。
・お前たちは親から食わせてもらっている身分で、お前たちは勉強だけしていればいい。人を好きになるなんて、何年も早い。
・お前たちの親も同じ思いでいるはずだ。だから、いまからお前たちの親に代わって俺がこの手紙を書いたやつを見つけ出して、怒鳴ってやる。
・だからこの手紙を書いたやつは名乗り出ろ、女だろう、今すぐ名乗り出ろ」
  教室をイヤな空気が多いました。黒く重い空気でした。
  誰が今回の犠牲になるのか。あいつか、こいつか。誰が今回、傷つけられるのか。教室全体がそんな雰囲気でした。
 
その教師は続けました。
  「誰もいないようなら、それでもいい。もしこの手紙を受けったやつがいるならそいつが名乗り出ろ。名乗り出たら、それを替わりに怒鳴ってやる。そいつも誰かに色目を使ってこの手紙を出させたのだろう。書いたやつと同罪だな。罰せられて当然だ。お前らまだまだガキなのだからな」
  私は心臓の鼓動が早くなるのがわかりました。あの教師は私のことを言っているのです。
  私は、私がもらいました、何かがあって、手紙を落としてしまったのだと思いますが、確かに私がもらったものです、ですから、どうか、すみません、許してください、 と言おうかと思いました、一瞬でも。
 
でも、私にはそんな勇気も覚悟もなかったのです。私は中学生になったばかりのたった13歳の少年で、悪魔のように見える教員に立ち向かう勇気は持ち合わせていませんでした。
  ものすごくドキしながら、時間が過ぎてゆきました。
 
1分ほど黙った後、教師は突然大声で高笑いしました。
 
「はっはっはっはっ。 やはりお前らはガキだな、自分たちの行為の責任を終えないのか。書いたやつも、受け取ったやつも、名乗り出ればそれでいいではないか。人を好きになる、人に好きになってもらう、と言うときにはそれくらいの責任や覚悟が必要なのだ。それなのにこれを書いたやつも、受け取ったやつも、そんなことすらわからない。
  単に好きだ、ステキだ、というような思いをつづった手紙が書いてあるのだろう、ばかばかしい、くだらない、ゴミみたいな手紙だ、くだらない文章だ、こんなの価値がない、地球の資源のムダ遣いだ、お前たちが勉強に充てるべき時間の無駄使いだ」
と教師は言いました。
 
私は顔から血の気が引いて、視界がさーっと灰色になっていくのを感じました。
  「よーし、わかった、いまからこの手紙を俺が読み上げてやろう、そうしたら、誰が書いたから、誰宛に書かれたかわかるな。そしたら俺がそいつを説教してやる。勉強もしないで、恋心を抱いている奴なんて、くだらない奴は俺が十分説教してやる。覚悟してろよ」 そして教師は便箋を空け、中から手紙を取り出した。そして広げて、読もうとした瞬間、教室の右前方に座っていた女子生徒が大声で泣き出して、教室を飛び出して行きました。
 
私が机の中に手紙があるとわかった瞬間、あの子からの手紙だと良いな、と思った、まさにその子でした。
  教室全体がはっとして、ほかの女子生徒が追いかけてゆこうと立ち上がった瞬間 、
  「動くな!!!」
 
と教師が怒鳴りました。
  「お前らは座っていろ!!」
  そして、大声で笑いだしました。大声で、大声で、その悪魔は笑っていました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
そのときです、私には女性を好きになったり、愛したりする資格や立場にないと思ったのは。自分が好意を寄せる女性のことも守れない男だったのです。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
ただ、私は長い間、なぜ自分がそのように思うのか、理由がはっきりわかりませんでした。ただただ、そのように信じてきていたのです。 なぜ私は自分がそのように思うのか、何度も何度も考えましたが、まるで私が生まれたときからそのように思っていたかのように、私は強い思いを持っていました。
 
 
私の63年の人生のなかで、何名かの女性は私に言い寄ってきていただける方もいらっしゃいました。私を好いてくれる方もいました。私のそばにいたい、結婚したい、愛している、と言っていただける方もいらっしゃいました。
  でも私はすべてお断りしてきました。私はそのような身分や立場にはありません。私は人に好かれたり、好いたりしてはいけないのです。なぜ私がそのように思うのか私自身、わからないのですが、そのように思う私は真実ですから、大変申し訳ございませんが、お断りさせていただきます。
 
そのようなことを何度も女性たちにお話してきました。
  その都度、その女性たちを傷つけてきてしまったと思います。せっかく私を好きになっていただけるのに、明確な理由もなくお断りするなんて。彼女たちにとってはひどすぎることだと思います。
  それでも仕方なかったのです、私は人から愛される資格などないと思っていたのです。それ以上に人を愛してはいけないと思っていました。そのような心を持つこと自体がやましいことで、けがれていることで、いけないのだと。
 
長年、なぜ自分がそのように思うのかわかりませんでした。わかりませんでしたので、とてもくるしかったです。それでも、そのように苦しむこともいけないのだと思っていました。
  そのため、世の中を達観する、仙人のような、修行僧なような存在にならなければならない、とずっと思ってきました。そして、そのようになれるように努めてきました。    
 
このように言うことは大変失礼であることは存じていますが、それをわかったうえであえて言いますと、あなたはその女性に似ています。中学1年生のときに私に手紙を書いてくれた女性です。   
外観や、たたずまい、雰囲気などが似ている、と、最初にお見かけしたときに思いました。ですので、3回目の診療が終わったときに、失礼かとも思いましたが、私の整体院で働いていただけないかとご提案しました。もう少しあなたとお話してみたったのです。
 
 
それ以上、いやらしい思いを持っていたわけではありません。     
2週間ほど前、5月下旬のある晴れた日の午後に、あなたがお仕事を終えて、ドアから出てゆかれる瞬間に、私は、中学1年生の教室から、私に手紙をくれた女子生徒が教室のドアを飛び出してゆく光景を重ねてみることができました。
 
その時に私はすべてを理解しました。  
私は50年以上否定し続けてきたもの、否定し続けてきた理由、そこにあったもの、それが始まったもの、それらすべてを。 その記憶すべてがよみがえってきたのです。これまで50年間封じ込めてきた記憶が。
 
中学1年の6月のあの日、あの悪魔のような教師が私の人生を決めたのです。手紙をもらったのは私です、と言い出せなかった私は、手紙を書いた女性を傷つけ、救えず、見捨てたのです。私は最低です。ある意味、あの教師よりもひどい男だったのかもしれません・・・。
 
そして悟りました。あの教師の言うように、私は人を愛する能力、立場、身分などにはないと。人を救えず、自分の保身さえも考えられなかった自分に人に対して好意を抱いたり、人から好意を抱かれたりしてはいけないのだと、そう思いました。そう思って、すべてを無意識に封じ込めたのです。あの時のイヤな感情を抑圧し、隠し、ないこととしたのです。 
 
ところが、いまから、2週間前、すべてが湧き出してきました。私の心の奥の奥から、すべての過去が突如として、湧き出してきたのです。
 
・・・・・・・・・・・・
  
 
 
この2週間、実は非常につらかったです。私が失ってきたもの、手に入れられなかったもの、傷つけてきた人たち、傷つけてきた私の心。それらすべてが思い出されました。
   そして、その教師を恨みました。とても憎いと思いました。その一方、その教師の理解もできました。当時の時代、彼の育ち、彼の苦しみ、そのようなものもわかりました。
 
当時、戦争が終わって、社会が急速に発展する中で、人の荒廃した心、急成長して行く経済社会、混乱のなかで、多くの人が疲弊し、倒れ、そして落ちこぼれていったのです。   
そのような大きな流れの中で、私たちは犠牲者でした。
犠牲者であり、加害者であり、そして・・・。 」
     先生が泣いていた。私も泣いていた。先生の心の嘆きが私の心に共鳴した。先生の失われた時間を思うと私の心も苦しかった。 長い長い時間が流れた。 整体院の外に、6月の冷たい雨が降る中で、その雨が整体院の中を濡らし、冷やし、凍えさせる中で、冷たく長い時間が私と先生の心の中に流れていった。
 
・・・・・・・・・・・・・・

整体院の窓の外では あじさい が咲いている。いくつもいくつも、小さな花がひとかたまりになって咲いている。白、赤、青、紫と。6月の雨に打たれて、うれしいそうに、いろいろな花が咲いている。  
私は思った。この何十年、どれだけ、多くの心が雨に打たれて泣いてきたのだろうか、と。
 
教室に集う子どもたちの小さな心、会社に集う大人たちの心、社会に集う多くの人の心。それらは何かの犠牲者だった。雨に打たれて寒そうにみじめで、それでもけなげに咲いてゆく犠牲者。
 
しかし、それらの花が寄り集って咲くならば、それぞれの小さな花が、そして、ひとつにまとまって懸命に咲き、その時々、その場所をきれいに彩る。それがこの社会、そして、個々人の咲き方。
  そんな風に私は思った。
  
いつか私たちは咲けるのだろうか。8月の輝く太陽に向かって大きく高らかに咲く花のように。
 
  あるいは、6月の冷たく降る雨に濡れて、辛抱強く我慢しながら咲く花のように。
 
灰色の世界に、彩りを求める心のように。
 
そのどちらか、私にはわからないけれども、いつの日にかすべての花に彩り鮮やかに咲き誇れる瞬間が訪れると良いと思った。
 
冷たい6月の雨が降る、外部と内部が入り混じった部屋のなかで。

2016年5月5日木曜日

手紙 Ⅲ ~ はな より~

お母さんへ
 
あなたの小さかったはなちゃんも 今日で32歳になりました。あなたの亡くなった歳ですね。
 
私はずっと、32歳ってどんなのだろう、と子どもの頃から思ってきました。とても大人で、賢明で、ステキで、責任感があって。
でも、自分が32歳になって、全然そんなことないなって思います。すごく子どもで、幼稚で、迷ったり、泣いたり、怒ったり。
  
お母さんもこんな風だったのかな、と思います。
どうだったのかな、お母さんは?
  

あなたの孫にあたる まな も先日3歳になりました。最近ではよく話すようになって、とてもにぎやかです。女の子っていいわね。楽しくて、はなやかで。
 
私ね、自分が子どもを持つのって、とても怖かったの。自分が子どもを産んでも、もし私に何かあって、充分育てられなかったら、どうしようって。
 
だから結婚するのも迷ったし、子どもを産むのも迷いました。でも、主人が、大丈夫だから、僕が支えるから、って言ってくれて、思い切って結婚、出産して、よかったなって。

子ども産んで3年、結婚して4年、とても幸せに暮らしています。 
 
 
 

でもね、もし自分が早くに亡くなったら、と思うととても怖い。自分がこの世界からいなくなったら まな や主人は生きてゆけるのかな、ちゃんとご飯を食べたり、洋服を着替えたりできるのかなって思う。まな はまだ3歳だし、主人も仕事に忙しいから。
 
だから、時々とても怖くなります。不安で眠れなくなる。自分がいなくなったらどうしようって。 

でも、それではダメだって思う。そんな不安に負けていてはダメだって。もっと強くなくちゃ。私もお母さんなのだから。 

そして、思うの、お母さんがね、32歳のときに、病気で余命数ヵ月って言われた時の気持ちを。
 
 
よく想像するわ、そのときお母さんがどんな思いだったかって。
 
私とお兄ちゃん(はる)が覚えている限り、お母さんは亡くなるまで、ずっと変わらず、おしとやかでキレイだった。病院に入院はしていたけれど、お家にいる時と変わらず、やさしくて、ステキで、良い香りがした。
 
入院中、亡くなるまで、一度も取り乱した姿を見たことがないと思うのだけれど、あれはなぜだったのかしら。体中、ひどい痛みがあったと思うのだけれど、私と はるはお母さんが痛がっている姿を見たことがない。 

あれは我慢していたの?痛くなかったの?
すごく強い痛みに襲われるのよね?どうだったの? 
 
いまも不思議に思っています。
 
 
でもね、まな を観ていると、この子には私のひどい姿は見せられないな、と思う。まな にはステキな女性になってもらいたいし、そのためにはいろいろ私もしてあげたいし、そうなるために、まなにひどい言葉や態度で接するのはやめよう、って。 
  
もちろん私だってダメなところはあるし、疲れていたり、元気がないときにはまなにつらく当たってしまうこともあるけれど、それでもそういう気分が去ったら、ぎゅっと抱きしめて、愛情いっぱい伝えてあげるようにしてます。 
 

そういう風に感じています。 
 
 
お母さんも同じ思いだったのかしら。自分の懸命な姿を子どもたちに見てほしいって。
 
弱い姿は見せられないって、そんな一心だったのかしら。
 
・・・・・・・・・・・・・・

お母さんの命日も再来週だからまたお墓参りに行くね。お母さんの好きだったおかしを作って持って行くね。おいしく作れるようになったのよ。 
 
そして、お墓の前で、ゆっくりお話しようね、私、お母さんに聞いてもらいたいこと、いっぱいあるの。 
 
何十分も、何時間分もあるから、主人には早くしろって言われてしまうかもしれないし、まなも我慢できないかもしれないけれど、その時間でいっぱいお話するようにするね。お墓の中で楽しみにしていてね。 
 

私ね、お母さんが6歳の時に亡くなって以来、ずっと命日にはお墓参りしているでしょ。いつも午前中に行って、ゆっくりお墓を磨いたり、草を抜いたり、お線香をあげたりするのだけれど、いつも私たちが着く前にキレイなお花が添えられていることが子どもの頃から不思議でね。
 
 
子ども心に誰がお花を上げているのだろう??って思っていたの。 
 
 
お父さんに聞いたことあるのだけれど、お父さん、何も教えてくれなくて。何か知っているみたいなのだけれど、黙っていてね。 
 
 
それでね、17歳のその日に、朝早くからお墓に行ってみたの。お父さんとはるには、別に用事があるからお墓で逢おうって言ってね。ちょうど土曜日だったから学校もなかったし。 
 

そして、朝5時くらいからお墓の近くで待っていたの。 
 

その日はとても天気の良い日で、気持ちが良かった。初夏の風が柔らかく吹いていたわ。あまりに気持ちが良くて、お墓にいたのに何も怖く感じなかった。 
 
 

私は前日、遅くまで起きていたせいで寝不足気味だったのだけれど、がまんしてお墓にいてね。お母さんのお墓が少し遠くに見える木の下で誰かが来るのを待っていたの。 
 
 
そして、7時頃から、スーツを着た男性がお花を持って現れてね。背の高い、とてもハンサムな方だったわ。遠くて見えにくかったけれど、とても上品そうな方だった。 
  


その男性はね、丁寧にお花をお母さんのお墓に生けて、お線香をあげて、手を合わせたの。すぐ終わるのかな、と思ったけど、すごく、すごーく長い時間、手を合わせていてね。 
 
 
とても長い時間だったわ。とても、とても長い時間だった。
  
  
セミが鳴きそうな初夏の季節だったけれど、虫も鳴かず、風の音もしない、無音の時間だった。
 
 
まるで、音がどこかに置き忘れられたかのような、そんな静かな時間だった。 
 
  

そして、その人ね、時折泣いていたの、静かにだけど、肩を震わせて、声を殺しながら。 
 
 

とても、つらそうだった。 
 
 

わたし、最初わからなかったのだけれど、ふと、わかったの、その男性はお母さんのことが好きなのだって。17歳の私でもそんな風に思えたの。でも何か理由があって、お母さんとは一緒になれなくて、でもお母さんが亡くなったことは知っていて、それが悲しくて、毎年、お母さんの命日にお墓参りに来ているのだって。 
 

私たち家族が着く時間よりも早く、いつも朝のうちに。 
 
 

理由はわからないけれど、ひとり、お墓に来て、静かに泣いてゆくのだって。 
 
 

その男性がお祈りを上げて、立ち去ろうとしたときに、私、声を掛けたかったのだけれど、かけられなかった。その男性のことは知りたかったけれど、知ってはいけないとも思ったの。 
 

その男性とお母さんの関係を知ったら、私たち家族が崩壊してしまうかもしれないって。不安に思ったの。 
 

お父さん、お母さんの関係、私とはるがずっと信じていたあなたたちの関係への感じ方が変わってしまうかもしれないって。 
 
 

だから、私、勇気が出なくて、その男性に聞けなかった。 
  
 

あなたは誰なのですか。
どこから来たのですか。
なぜ私のお母さんのお墓で泣いているのですか。
 
 
私、勇気がなくて、聞けなかったの。 
 

そして、それをずっと後悔していた。 
 
 
長い時間後悔してた。17歳の時以降だから、15年ね。 
 
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・
  
 

私、今年の夏に産休を明けて、仕事復帰するのだけれど、カウンセラーとしての感覚を取り戻すために、本を読んだり、セミナーに出たりしていてね。学会にもできるだけ出たいと思ってる。 

それでね、2週間前のことなのだけれど、東京で開かれた学会に参加してみたの。まなは主人に預かってもらって。ちょうど主人が有給を取れたときだったから、お願いしてね。 

学会はゲシュタルト心理学がテーマだったのだけれど、そこで講演してくれた大学の教授を見たときにびっくりしたわ。 
 
それがあのお墓にいた男性だったの。お母さんのお墓でとても長い時間、お祈りしていたあの人。 
 

私、心臓がどきどきして止まらなかった。見た感じも、雰囲気も15年前にお墓で見たものと変わらなかったら、本人には間違いないのだろうって思ったけれど、とても権威のある偉い学者さんだったし、その人とお母さんの接点が思いつかなかった。 
 
 
 
とても緊張しながら、いろいろなことを思いめぐらせながら、講演を聞いていた。 
 

なぜその人がお母さんと知り合いだったのだろう。
なぜお母さんのお墓でその人は泣いているのだろう。
なぜその人と私は再会できたのだろう。
 
なぜ、なぜ、なぜ。 
 

そして、講演が終わったときに思い切ってその方に話しかけに行ってみたの。私、15年も同じ後悔をしていたから。もうそれ以上後悔したくないなって。 

17歳のときにその人に話しかけなかった後悔を、未来に引きずりたくないって。 

そして、お母さん、あなたに対する疑問をなくすために。 
 
 

私、○○に住んでいた○○の娘です。ご存知ですかって。 
 
 

そのときの、その先生の驚いた顔、しばらくたってからの嬉しそうな顔、その後の涙が出そうになった顔を忘れることができない。 
 
 
あの方のすべてを見たような気がする。 
 
 
あの人の心の遍歴すべてを。
 
そのほんの数秒の間に。
  
  

それ以降、その先生と手紙でやりとりしています。メールやパソコンはダメだというから手紙でね。とても知的で上手な字を書く方なの。ステキな方よ。 
 
 
 

先生ね、お母さんにとても感謝しているって。僕と君とは結ばれることはなかったけれど、心の奥深いところでつながっているはずだって。 
 

細かい経緯はお母さんも当然、知っているから書かないけれど、ステキな話よね。 
  


そして、先生の手紙に書いてあった。お母さんに語りかけるように。 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
  


君から教わったことを大切に僕は生きている。 
  
 

僕が人を愛することができるということ。
誰かのために命を投げ打っても構わない女性と出逢えたと思えたこと。
心が死んでいた僕が、君と出逢えて、色彩のある世界に生きることができるようになったこと。 
 

そのすべてに感謝している。 
 

ありがとう。
 
 
その言葉以外、僕には君への言葉は見つからない。 
 
 

・・・・・・・・・・・・・・・ 
 
 
 
おかあさん、すごいね。そんな風に愛されていたのね。
 
 

そんな純愛をその先生のプレゼントしたのね。 
 
  

・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 
  


このことはお父さんには秘密にしておくし、その先生の一方的な純愛のようだから、何も問題はないと思う。 
 
 

でも、うらやましいな、私も、そんな風に男性から思われてみたい。 
 
 

私の主人が、そういう風に思ってくれるといいけれど、どうかしらね。 
 
 

もう、結婚もしているから、純愛ではないのかしら。 
 
  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
おかあさん、私ね、自分が子どもをもって、初めて、本当にかけがえのない大切なものを持てたと思えた。
もちろん主人に対する愛はあるけれど、娘のまなに対する愛とはまた違うと思う。どこがどのように違うのかは表現できないのだけれど、やはり娘への愛情は違う。
 
そして、まなには私のできる最大限のことをしてあげたいと思う。ていねいに接しするし、食事は気を付けるし、やさしい言葉で、可能な限りの愛情を注ぎたい。まなの笑顔のためには何でもできる、そんな風に思う。
 
彼女の成長をずっと見守って行きたい。
 
そして、思うの、私とはな が6歳のときに、亡くならなければならなかったあなたの心を。つらく、かなしく、せつなかったのだろうなぁ。大切に思う家族を残してこの世を去らなければならなかったあなたは何を思っていたのだろう。
 
最後まで笑顔で優しくて、あたたかかったあなたは、心にどんな思いを抱えていたのだろう。
つらさ、かなしさを外に出さないで、あなたは亡くなり、焼かれて、雲に消えてゆき、あなたのつらさやかなしみはどこへ行ってしまったのだろう。
あなたの心はどこに消えたのだろう。
 
 
わたし、まながうまれてからずっとそんなことを考えています。あなたの心が浮かんでいるであろう、遠い空を思っています。
お母さん、私、あなたのようなステキな女性になりたい。誰かから深く愛されて、弱い姿を見せない、芯の強い女性になりたい。
 
わたし、がんばるね。
お母さん、遠い空から、ずっと、応援していてね。 
ずーとね、お願いだよ。
 
 
あなたを愛する32歳になったばかりの はな より