2016年8月14日日曜日

誓ったはずの永遠の愛

別れた夫が亡くなったと聞いたときに、いちばん驚いたことは、彼が亡くなったこと自体ではない。私が驚いたのは、彼が亡くなったと聞いて、自分が何も感じていない、そのことだった。
 
彼との結婚は、いまから18年ほど前のことで、当時の私は24歳だった。その結婚は2年間ほど続いたけれど、すぐに終わりを迎えた。終わりを迎えた原因ははっきり覚えていない。性格の不一致とか、考え方の違いとか。
幼い二人が、幼いまま結婚して、幼い別れを迎えた。その程度のことだったと思う。離婚した当時は落ち込んだけれど、42歳になったいま、振り返ってみれば、その頃の結婚、離婚なんてあまり意味のあるものではなかった、と思う。
そう、恋愛関係が少し深化して、終わってしまっただけのもの。
 
 
彼の死を教えてくれた共通の友人によれば、彼は5年闘病したらしい。彼も私と同い年だから37歳くらいから病気と闘ったのだろうか。
人生の良い時期を病気と闘って彼は亡くなっていった。彼は幸せだったのだろうか。
 
その友人によれば、元夫は亡くなる前に私と会いたがっていたらしい。少し話がしたいと。でも連絡を取るなと、その友人に言っていたようだ。その友人が迷っているうちに体調が急変して亡くなった、と聞いた。
彼(元夫)と別れたあと、私は地元に戻った。彼の住まいは私の地元からかなり遠いから、彼が亡くなる前に連絡をもらったとしても、私は会いに行けたかわからない。
 
離婚後、何人かの男性と出会い、付き合い、別れた。
そして、8年ほど前に、34歳になったときに出会った5歳年下の男性にすぐに結婚を申し込まれて、結婚した。なぜ結婚したのかはっきりとはわからない。私の直感がこの男性と結婚しろと言っていた、のだと思う。
いまでは5歳の娘がいる。いまの夫には大切にされているし、娘は愛しいし、私はしあわせ、だと感じる。
 
いまの夫と付き合う前に、自分が離婚経験があると話した。それでもかまわない、と夫となる彼は言った。若いときの結婚だし、子どももいないし、付き合って別れるのとあまり変わらないと思っているから、と彼は言った。確かにその通りなのだろう。
 
あの結婚が何だったのか、私にはわからない。若い時に結婚し、若い時に分かれた。幼い結婚と、幼い離婚。その二つは私にとって何だったのか。私にもわからない。その考え、気持ち、感情は、いまだに言葉にできていない。ぼんやりした霧のようなかたまりがある、私の胸の中に。胸の奥のほうに。
 
子どもができていたら、また違ったのだろうか、と思う。私と前の夫の間に子どもができていたら、離婚はしなかったかもしれない。そして、彼との結婚を続けていたかもしれない。もしそうなっていたら、彼は37歳の時に病気になったのだろうか、病気の看病を私はしたのだろうか、5年もの間。もしくは彼は病気にさえならなかったのだろうか。
 
私にはわからない。その仮定は私には合わない。
 

しかし、正確に言えば、私に子どもができなかったわけではない。子どもはできた。ただ、生まれなかっただけだ。妊娠10週目で心音が止まった子どもを子宮からかき出す手術をした後、私はしばらく泣いて過ごした。
彼との子どもが欲しかったから?彼との子どもでなくてもいい、誰かとの子どもが欲しかったから?女として、女の身体として生まれてきた自分は子どもを産むという経験をしたかったから??
 
いまでは、もう、わからない。その記憶は失くしてしまった。いや、その記憶を封じ込めてしまった。
 
でも、もう掘り起こしたいとは思わない。
 
 
彼の葬儀はすでに終わっていて、家族を中心に密葬で行われたそうだ。私に連絡してきてくれた友人も、葬儀が終わった後に教えられたらしい。そしてしばらく迷った後、私に連絡してくれたと、電話口で言っていた。
ありがとう、と私は言った。本当に感謝していたわけではない、それ以外に言葉が思い浮かばなかっただけ。
  
・・・・・
 
友人から連絡があった夜、5歳の娘が寝るときに添い寝しながら、彼(元夫)のことを思い出そうとした。顔、声、体つき、しぐさ、クセ、思い出、交わした言葉、行った場所など。
不思議だった、思い出せたことは、ほんの少しだった。
 
彼との結婚式のとき、永遠の愛を誓ったはずなのに。大勢の参加者の前で、永遠の愛を誓ったはずなのに。ほんの少ししか覚えていないなんて。
私って何なのだろう。私の愛って、それだけのものだったのだろうか。薄くて細い糸のようなものだったのだろうか。
 
私にはわからない。
 
 
彼と別れた歳月はすべてを薄めてしまったように思える。
 
 
ねぇ、なぜあなたは私と結婚したの?
私と結婚していた2年間、あなたは幸せだったの?
なぜあなたは死ぬ前に私と会いたがったの?
私と会って何を伝えたかったの?
 
私は彼に問う。
顔も、声も、忘れてしまったけれど、かつて永遠の愛を誓った彼に、私は問う。声に出さずに、心の中で。
 
 
そして、答えはない。
  

答えはあるのかもしれないけれど、その声はか細く、小さい。
 

 
・・・・・・
 

5歳の娘の寝息が私にやさしい。娘への愛が私の哀しみを和らげる。
 
 
さよなら、私がかつて愛したあなた。

2016年7月5日火曜日

静かに沈む

「おぼれている人は静かに沈んでゆきます。」
 
ライフセーバー講習でプロのライフセーバーは言った。
  
私は半年ほど前から、近所にある民営のプールで監視員のアルバイトをしている。10歳になる息子がそこのスイミングに通うようになったから、その会社にお願いしてアルバイトをさせてもらうこととした。40歳を過ぎて久しぶりの社会復帰。長く専業主婦をしていたから、社会で働くことは楽しかった。
 
監視員のアルバイトをするうちに、ライフセービングに興味を持つようになった。そして、七月最初の日曜日の今日、ライフセーバー講習をとあるビーチで受けている。
 
日本でもトップクラスというライフセーバーの鍛え上げられた身体は夏の日差しに照らされながら、ビーチに濃い影を落とす。ライフセーバー講習はビーチの一区画を区切って行われているが、その左右で海を楽しむ海水浴客の声はとてもにぎやかだ。
  
・・・・・・・
 
「おぼれている人は静かにおぼれてゆきます。一般的にイメージされるような、
 
助けてー、と大声で叫んだり、
海面で手をバタバタさせたり
 
するようなことはありません。
 
物思いにふけるかのように、静かにおぼれてゆきます」
 
 

ライフセーバーがそのようにいったとき、私が、ふと、思い出したのは高校生のころに亡くなった友人のことだった。彼女は自分の部屋で自死したのだけれど、本当に静かに亡くなっていった。
 
・・・・・・
 
「このCDあげるよ」
 
昼休みに友人が差し出したCDは アラニス・モリセットというカナダの女性アーティストの ” Jagged Little Pill ” というアルバム だった。私が欲しかったCDだ。
 

 
 


「え、なんで?いいよ。私、アルバイトして買うか、レンタルするから」と私は答えた。
 
「いいよ、あげる、私、飽きちゃったし、私にはちょっとザラザラしすぎてる」と、友人は言う。
  
  

 
「痛いんだよね、心に」
  
 
  
 

結局、私は友人からそのCDを借りることにして、カセットテープにダビングして返すことにした。
  
 
その日の夜に自宅でラジカセでダビングしようとしたら、兄がラジカセをもって外出してしまっていて、ダビングできなかった。しかも、その日、兄は外出先にラジカセを置き忘れてきて、持ち帰ってきたのは1週間ほど後のことだった。
 
兄がラジカセを家に持ち帰ってきたのは、彼女が亡くなった二日後だったと思う。
  
  
 
私はCDをダビングすることもなく、CDを返す相手も失ってしまった。
  
 
 
 
いま、思えば、CDを私に差し出した友人はぼんやりした顔をしていたように思う。もの思いにふけるかのような、何かを忘れてしまったかのような。
  
 
あるいは、どこかへ泳いでゆこうとしても、どこにも泳いでいけないことに気づいたかのような。
 
 
・・・・・・・
  
 
彼女が亡くなって、いくつかのうわさが流れた。
  
・父親か、親戚のおじさんに性的虐待を受けていた。
・この高校は進学したかった高校ではなくて、人生に絶望していた。
・両親の中が悪く、母親は精神を病んでいる。
 
など。
どれが真実か私にはわからなかった。友人と私はクラスメートだったけれども、私はそこまで彼女と仲良くなかったから。 
 
CDを私に渡したのも、私としては理由がわからなかった。私がアラニスのCDを欲しいと言ったことはあったけれど、彼女ひとりに言ったのではなくて、クラスの友だちがたくさんいる中で、話の流れの中で言っただけのことだった。
    
彼女が、私に何を感じ、何を思っていたのか、私にはわからない。
 
 

ただ、私がCDを彼女が亡くなる前に早めに返し、そのときなぜ私にCDを渡そうとしたのか訊ねていたら、彼女は亡くならなくても済んだかもしれない。
  
 

そんな後悔を、私は、もう何年も抱えている。
  
 

・・・・・・・
 
 
暑い日差しが照りつけるビーチでライフセーバー講習は続く。たくましい筋肉をしたライフセーバーが説明をしている。
 
「おぼれているとき、声を出して助けを求めることは、まず、できません。鼻や口は息をすることが主な目的であって、声を出す、ということは二次的なものなのです。
とくにおぼれている方にとっては、息をすることが口や鼻の最大の目的であって、そのときに同時に口や鼻を使って、声を出す、助けを求める、ということはできない、と思ってください。
 
おぼれている人は、息をすることで精いっぱいなのです。」
 
 
 
暑い日差しが彼の顔を照らす。7月第1週目の、梅雨明けしていない今日でも、夏の日差しが強い。
  
 
太陽が強すぎて、暑すぎて、私の意識も遠のいてゆく。
 
 
私の意識は過去へと沈み込んでゆく。
  
 
・・・・・・
  
 
亡くなった友人も、助けを求めることはできなかったのだろうか。
 
息をすることしかできなかったのだろうか。
  
 
おぼれていた彼女は、
 
生きることにおぼれていた彼女は、
 
息をすることだけが、最大限できることだったのだろうか。
   
 
そして、その息をすることさえも、やめたかったのかもしれない。
 
 
  
何らかの理由で。
 
 

 
彼女にしかわからない、何らかの理由で。
 
 
 
 
・・・・・・
  
 
彼女の死から25年が過ぎた。
  
 
いまでもアラニスのCDは私の本棚に残っている。
 
 
ときどき、アラニスの音を聴きたくてCDをかける。
  
 
10代の頃とは違う、40代になった私に聴こえるアラニスの叫びは、昔と同じようにザラザラで、心に痛く、そして、夏の日差しのように私の後悔に突き刺さる。
 

Alanis Morissette - All I Really Want

 


 


2016年5月29日日曜日

モノのキオク vol.1  ~ 女性の名刺入れ ~


僕には子どものころから不思議な能力があって、モノに触れると、そのモノが持つ歴史や記憶を感じ取ることができる。すべてのモノというわけではなくて、特別な思いを持ったモノのようだ。また、すべての歴史、記憶というわけではない。例えば牛革製品だったら、そのモノが製品になって誰かに所有された後の記憶を感じることができる。牛として生きていたころの記憶は感じない。
 
その名刺入れを拾ったとき、感じたのは女性の悲しみだった。20代後半から30代前半の女性で、髪が長くてキレイな女性の姿が見て取れた。はっきりとしたイメージで感じられるわけではなくて、ぼんやりとしたイメージだけれど。
 
その女性はある男性の車に乗っていて、駅のそばの道路で停まった車から飛び降りた。彼女は哀しんでいて、また怒っていた。そして、怒りながら、車を飛び出した時に、バックを地面に落として、そのときにバックから名刺入れが落ちた。名刺以外にも小物が地面に散らばったのだけれど、夜暗くて、名刺入れが黒色だったせいもあって、彼女は名刺入れには気付かずに拾いもれてしまった。その30分後くらいに僕がその場所を通りかかって、その日の夜、名刺入れを拾った。
 
名刺入れを拾ったときに彼女の哀しみを感じるとともにその男性への想いを感じることもできた。名刺入れを触った瞬間、稲光が目の前で瞬いたかのように。
  
その男性は彼女の会社の上司で、2人は2年ほど付き合っていた。上司は彼女よりも10歳ほど年上のようで、既婚者だった。彼女は独身だったから不倫関係にあった。

その上司は奥さんとの仲は良くない、離婚も考えている、と彼女に言っていて、離婚したら彼女と再婚したい、と言っていた。彼女はその言葉を信じていた。彼女にとってその上司の言葉は救いで、希望だった。疑うことはできなかった。
 
しかし、1週間ほど前、街を歩くその上司と奥さんの姿を見て、彼女は自分が騙されていたことを知る。その奥さんは妊娠していて、おなかはかなり大きくなっていた。一人娘がいることは知っていたけれど、娘が生まれて以降、妻との関係は冷めていて、何年も、奥さんと体の関係はない、と上司は言っていた。
結婚しているけれど、夫婦に身体の関係はない、という上司の言葉が彼女にとっては救いだった。結婚しているけれどセックスレス、その言葉が彼女の嫉妬を抑える慰めだった。
  
 
しかし、上司は奥さんを妊娠させていた。 
  
 
裏切られた、
 
  
と彼女は思った。
 
 
そして、その夜、上司を問い詰めて、彼女は自分が騙されて、利用されていたことを知る。
 
・・・・・
 
男の言葉は女を操るツールだ。男は女を操るためならそのツールを十分に使いこなすことができる。女はその言葉がウソかもしれないと思いつつ、自分にとって心地よい言葉を言われると信じてしまう。
 
男の言葉で、騙され、傷つき、泣いてゆく女性を何人も見た。
 
聡明な人、と思っていた女性が、男の言葉に簡単に騙されてしまう。男の口先から飛び出る無形のツールに。
 
幼い子どもが騙されるように。
 
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その名刺入れに触れた瞬間にその女性の悲しみと、怒りと、失った2年という時間、そして消え去った希望を感じることができた。
  
 
そして、いま、その瞬間、自分の部屋で泣いている彼女の姿を。
 
 
・・・・・・・
  
そして、また僕は感じた、その上司がほほ笑む顔を。その上司が自宅へ戻る車の中で。
 
彼は、二人目の子どもが生まれる前に彼女との関係を絶ちたかった。妻との離婚を迫り始めた彼女を面倒に思っていた。だから、彼女が自分たち夫婦を街中で見かけてくれて、このような話の展開になって良かったと思った。
 
頭がよく、30過ぎまで仕事のキャリアを積んできた彼女のことだ。会社で自分たちの仲をばらすようなことはしないだろう。数ヵ月は気まずい関係が続くかもしれないが、いずれ時間が経てば解消するだろう。俺も異動が近い。しばらくガマンすればいまの職場を離れて、そうしたら、何も問題なく、収まるだろう。
  
 
その男のそんな憶測も感じた。
  
 
・・・・・・
  
 
モノに触れるとそのモノの歴史、記憶を感じることができる、という能力もいいことばかりではない。
 
しかし、僕はこれまで生きてきた40年という時間の中で、いくつもの想いや感情をモノから感じてきた。
  
  
その感じてきたことについて、少しずつ語ろうと思う。