2016年5月5日木曜日

手紙 Ⅲ ~ はな より~

お母さんへ
 
あなたの小さかったはなちゃんも 今日で32歳になりました。あなたの亡くなった歳ですね。
 
私はずっと、32歳ってどんなのだろう、と子どもの頃から思ってきました。とても大人で、賢明で、ステキで、責任感があって。
でも、自分が32歳になって、全然そんなことないなって思います。すごく子どもで、幼稚で、迷ったり、泣いたり、怒ったり。
  
お母さんもこんな風だったのかな、と思います。
どうだったのかな、お母さんは?
  

あなたの孫にあたる まな も先日3歳になりました。最近ではよく話すようになって、とてもにぎやかです。女の子っていいわね。楽しくて、はなやかで。
 
私ね、自分が子どもを持つのって、とても怖かったの。自分が子どもを産んでも、もし私に何かあって、充分育てられなかったら、どうしようって。
 
だから結婚するのも迷ったし、子どもを産むのも迷いました。でも、主人が、大丈夫だから、僕が支えるから、って言ってくれて、思い切って結婚、出産して、よかったなって。

子ども産んで3年、結婚して4年、とても幸せに暮らしています。 
 
 
 

でもね、もし自分が早くに亡くなったら、と思うととても怖い。自分がこの世界からいなくなったら まな や主人は生きてゆけるのかな、ちゃんとご飯を食べたり、洋服を着替えたりできるのかなって思う。まな はまだ3歳だし、主人も仕事に忙しいから。
 
だから、時々とても怖くなります。不安で眠れなくなる。自分がいなくなったらどうしようって。 

でも、それではダメだって思う。そんな不安に負けていてはダメだって。もっと強くなくちゃ。私もお母さんなのだから。 

そして、思うの、お母さんがね、32歳のときに、病気で余命数ヵ月って言われた時の気持ちを。
 
 
よく想像するわ、そのときお母さんがどんな思いだったかって。
 
私とお兄ちゃん(はる)が覚えている限り、お母さんは亡くなるまで、ずっと変わらず、おしとやかでキレイだった。病院に入院はしていたけれど、お家にいる時と変わらず、やさしくて、ステキで、良い香りがした。
 
入院中、亡くなるまで、一度も取り乱した姿を見たことがないと思うのだけれど、あれはなぜだったのかしら。体中、ひどい痛みがあったと思うのだけれど、私と はるはお母さんが痛がっている姿を見たことがない。 

あれは我慢していたの?痛くなかったの?
すごく強い痛みに襲われるのよね?どうだったの? 
 
いまも不思議に思っています。
 
 
でもね、まな を観ていると、この子には私のひどい姿は見せられないな、と思う。まな にはステキな女性になってもらいたいし、そのためにはいろいろ私もしてあげたいし、そうなるために、まなにひどい言葉や態度で接するのはやめよう、って。 
  
もちろん私だってダメなところはあるし、疲れていたり、元気がないときにはまなにつらく当たってしまうこともあるけれど、それでもそういう気分が去ったら、ぎゅっと抱きしめて、愛情いっぱい伝えてあげるようにしてます。 
 

そういう風に感じています。 
 
 
お母さんも同じ思いだったのかしら。自分の懸命な姿を子どもたちに見てほしいって。
 
弱い姿は見せられないって、そんな一心だったのかしら。
 
・・・・・・・・・・・・・・

お母さんの命日も再来週だからまたお墓参りに行くね。お母さんの好きだったおかしを作って持って行くね。おいしく作れるようになったのよ。 
 
そして、お墓の前で、ゆっくりお話しようね、私、お母さんに聞いてもらいたいこと、いっぱいあるの。 
 
何十分も、何時間分もあるから、主人には早くしろって言われてしまうかもしれないし、まなも我慢できないかもしれないけれど、その時間でいっぱいお話するようにするね。お墓の中で楽しみにしていてね。 
 

私ね、お母さんが6歳の時に亡くなって以来、ずっと命日にはお墓参りしているでしょ。いつも午前中に行って、ゆっくりお墓を磨いたり、草を抜いたり、お線香をあげたりするのだけれど、いつも私たちが着く前にキレイなお花が添えられていることが子どもの頃から不思議でね。
 
 
子ども心に誰がお花を上げているのだろう??って思っていたの。 
 
 
お父さんに聞いたことあるのだけれど、お父さん、何も教えてくれなくて。何か知っているみたいなのだけれど、黙っていてね。 
 
 
それでね、17歳のその日に、朝早くからお墓に行ってみたの。お父さんとはるには、別に用事があるからお墓で逢おうって言ってね。ちょうど土曜日だったから学校もなかったし。 
 

そして、朝5時くらいからお墓の近くで待っていたの。 
 

その日はとても天気の良い日で、気持ちが良かった。初夏の風が柔らかく吹いていたわ。あまりに気持ちが良くて、お墓にいたのに何も怖く感じなかった。 
 
 

私は前日、遅くまで起きていたせいで寝不足気味だったのだけれど、がまんしてお墓にいてね。お母さんのお墓が少し遠くに見える木の下で誰かが来るのを待っていたの。 
 
 
そして、7時頃から、スーツを着た男性がお花を持って現れてね。背の高い、とてもハンサムな方だったわ。遠くて見えにくかったけれど、とても上品そうな方だった。 
  


その男性はね、丁寧にお花をお母さんのお墓に生けて、お線香をあげて、手を合わせたの。すぐ終わるのかな、と思ったけど、すごく、すごーく長い時間、手を合わせていてね。 
 
 
とても長い時間だったわ。とても、とても長い時間だった。
  
  
セミが鳴きそうな初夏の季節だったけれど、虫も鳴かず、風の音もしない、無音の時間だった。
 
 
まるで、音がどこかに置き忘れられたかのような、そんな静かな時間だった。 
 
  

そして、その人ね、時折泣いていたの、静かにだけど、肩を震わせて、声を殺しながら。 
 
 

とても、つらそうだった。 
 
 

わたし、最初わからなかったのだけれど、ふと、わかったの、その男性はお母さんのことが好きなのだって。17歳の私でもそんな風に思えたの。でも何か理由があって、お母さんとは一緒になれなくて、でもお母さんが亡くなったことは知っていて、それが悲しくて、毎年、お母さんの命日にお墓参りに来ているのだって。 
 

私たち家族が着く時間よりも早く、いつも朝のうちに。 
 
 

理由はわからないけれど、ひとり、お墓に来て、静かに泣いてゆくのだって。 
 
 

その男性がお祈りを上げて、立ち去ろうとしたときに、私、声を掛けたかったのだけれど、かけられなかった。その男性のことは知りたかったけれど、知ってはいけないとも思ったの。 
 

その男性とお母さんの関係を知ったら、私たち家族が崩壊してしまうかもしれないって。不安に思ったの。 
 

お父さん、お母さんの関係、私とはるがずっと信じていたあなたたちの関係への感じ方が変わってしまうかもしれないって。 
 
 

だから、私、勇気が出なくて、その男性に聞けなかった。 
  
 

あなたは誰なのですか。
どこから来たのですか。
なぜ私のお母さんのお墓で泣いているのですか。
 
 
私、勇気がなくて、聞けなかったの。 
 

そして、それをずっと後悔していた。 
 
 
長い時間後悔してた。17歳の時以降だから、15年ね。 
 
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・
  
 

私、今年の夏に産休を明けて、仕事復帰するのだけれど、カウンセラーとしての感覚を取り戻すために、本を読んだり、セミナーに出たりしていてね。学会にもできるだけ出たいと思ってる。 

それでね、2週間前のことなのだけれど、東京で開かれた学会に参加してみたの。まなは主人に預かってもらって。ちょうど主人が有給を取れたときだったから、お願いしてね。 

学会はゲシュタルト心理学がテーマだったのだけれど、そこで講演してくれた大学の教授を見たときにびっくりしたわ。 
 
それがあのお墓にいた男性だったの。お母さんのお墓でとても長い時間、お祈りしていたあの人。 
 

私、心臓がどきどきして止まらなかった。見た感じも、雰囲気も15年前にお墓で見たものと変わらなかったら、本人には間違いないのだろうって思ったけれど、とても権威のある偉い学者さんだったし、その人とお母さんの接点が思いつかなかった。 
 
 
 
とても緊張しながら、いろいろなことを思いめぐらせながら、講演を聞いていた。 
 

なぜその人がお母さんと知り合いだったのだろう。
なぜお母さんのお墓でその人は泣いているのだろう。
なぜその人と私は再会できたのだろう。
 
なぜ、なぜ、なぜ。 
 

そして、講演が終わったときに思い切ってその方に話しかけに行ってみたの。私、15年も同じ後悔をしていたから。もうそれ以上後悔したくないなって。 

17歳のときにその人に話しかけなかった後悔を、未来に引きずりたくないって。 

そして、お母さん、あなたに対する疑問をなくすために。 
 
 

私、○○に住んでいた○○の娘です。ご存知ですかって。 
 
 

そのときの、その先生の驚いた顔、しばらくたってからの嬉しそうな顔、その後の涙が出そうになった顔を忘れることができない。 
 
 
あの方のすべてを見たような気がする。 
 
 
あの人の心の遍歴すべてを。
 
そのほんの数秒の間に。
  
  

それ以降、その先生と手紙でやりとりしています。メールやパソコンはダメだというから手紙でね。とても知的で上手な字を書く方なの。ステキな方よ。 
 
 
 

先生ね、お母さんにとても感謝しているって。僕と君とは結ばれることはなかったけれど、心の奥深いところでつながっているはずだって。 
 

細かい経緯はお母さんも当然、知っているから書かないけれど、ステキな話よね。 
  


そして、先生の手紙に書いてあった。お母さんに語りかけるように。 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
  


君から教わったことを大切に僕は生きている。 
  
 

僕が人を愛することができるということ。
誰かのために命を投げ打っても構わない女性と出逢えたと思えたこと。
心が死んでいた僕が、君と出逢えて、色彩のある世界に生きることができるようになったこと。 
 

そのすべてに感謝している。 
 

ありがとう。
 
 
その言葉以外、僕には君への言葉は見つからない。 
 
 

・・・・・・・・・・・・・・・ 
 
 
 
おかあさん、すごいね。そんな風に愛されていたのね。
 
 

そんな純愛をその先生のプレゼントしたのね。 
 
  

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このことはお父さんには秘密にしておくし、その先生の一方的な純愛のようだから、何も問題はないと思う。 
 
 

でも、うらやましいな、私も、そんな風に男性から思われてみたい。 
 
 

私の主人が、そういう風に思ってくれるといいけれど、どうかしらね。 
 
 

もう、結婚もしているから、純愛ではないのかしら。 
 
  

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おかあさん、私ね、自分が子どもをもって、初めて、本当にかけがえのない大切なものを持てたと思えた。
もちろん主人に対する愛はあるけれど、娘のまなに対する愛とはまた違うと思う。どこがどのように違うのかは表現できないのだけれど、やはり娘への愛情は違う。
 
そして、まなには私のできる最大限のことをしてあげたいと思う。ていねいに接しするし、食事は気を付けるし、やさしい言葉で、可能な限りの愛情を注ぎたい。まなの笑顔のためには何でもできる、そんな風に思う。
 
彼女の成長をずっと見守って行きたい。
 
そして、思うの、私とはな が6歳のときに、亡くならなければならなかったあなたの心を。つらく、かなしく、せつなかったのだろうなぁ。大切に思う家族を残してこの世を去らなければならなかったあなたは何を思っていたのだろう。
 
最後まで笑顔で優しくて、あたたかかったあなたは、心にどんな思いを抱えていたのだろう。
つらさ、かなしさを外に出さないで、あなたは亡くなり、焼かれて、雲に消えてゆき、あなたのつらさやかなしみはどこへ行ってしまったのだろう。
あなたの心はどこに消えたのだろう。
 
 
わたし、まながうまれてからずっとそんなことを考えています。あなたの心が浮かんでいるであろう、遠い空を思っています。
お母さん、私、あなたのようなステキな女性になりたい。誰かから深く愛されて、弱い姿を見せない、芯の強い女性になりたい。
 
わたし、がんばるね。
お母さん、遠い空から、ずっと、応援していてね。 
ずーとね、お願いだよ。
 
 
あなたを愛する32歳になったばかりの はな より

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