2016年5月7日土曜日

あじさい

~超長文です。お時間あるときにどうぞ~
6月の雨が数日間降り続いているせいで、この街や世界は灰色一色に覆われていた。そのなかで、整体院の窓の外に見える あじさいだけは、彩り鮮やかに咲いていた。
 
私はあじさいが好き。あじさいは雨に打たれながら明るく咲く花だから。
 
私が整体院でアルバイトを始めて2か月以上が経った。長い間、専業主婦だった私は、3月下旬に肩を痛めて肩が上がらなくなったとき、急いで近所の整体院の予約を取って、先生の治療を受けた。治療は順調に進んだのだけれど、3回目の診療を終えたときに、先生から
 
「当院で働いてみませんか?」
 
とお声掛けいただいた。ずっと専業主婦だったけれど、先生の印象も好意的だったし、自宅から近いこともあって、受付や事務をさせていただくことになった。とても温和な先生でとても働きやすい職場だ。
 
この整体院は完全予約制で、予約はだいたい埋まっている。先生の腕が良いらしく、ご近所のご年配の方から遠くの街の高校生など、主婦、OL、会社員、男女問わず、お客様としていらっしゃる。人気の高い先生だ。
 
人気の高さは先生の腕もあるが、先生の人柄の良さとあると思う。いつも、おっとりと静かで、世界を達観したような雰囲気がある。しかし、今年63歳になるとは思えないほど、身体は鍛えてあって、ムダがない。

「先生って、仙人のようですね。修行僧とか」

と冗談で以前言ったら、そうかもしれないですね、と真面目に返されたことがある。軽い笑顔とともに。
 
そう、とても、誠実で、そして、ストイックな方なのだ。

・・・・・・・・・・・・
 

その日、予約されていたご年配の方が、体調を崩されて、来院できなくなったため、1時間ほど空き時間が出てしまった。先生は5分ほど事務作業をした後、私と一緒に整体院の窓から外を眺めながら、話をして過ごした。
 
「○○さんは、どのようにしてご主人と出逢われたのですか?」
 
と先生が私に訊ねた。話の流れでそのような話になった。
  「大学の同級生だったのです」と私は答える。
 
「同じ大学の同級生で、大学の入学式の日、私に夫にひと目ぼれされまして(言うのも恥ずかしいですが、、、 )
私、目鼻立ちがはっきりしていて、外国人ぽいし、その日、スーツを着ていたのですが、そういうのが夫は好きだったらしくて」
  整体院の窓の外を、母親と子どもが傘を差しながら通り過ぎるのが見えた。子どもは雨降りが楽しそうで、黄色い傘とレインコートがグレーの世界に映えて見える。
  「でも大学の頃は付き合うとかは何もなくて。クラスも違って、部活も違っていたから話したりする機会はあまりなくて。でも、お互いの存在は知っていました。私は彼のことを、いつもにこにこしている温和そうな人だなぁ、と思っていました。
一方、彼は私にずっと片思いしていたみたいです。なかなか告白などはしてくれなかったのですけど。
でも、告白されても困ってしまったと思います。
 
そのころ、私にはずっと片思いしている人がいて。高校の先輩で、遠距離でめったに会えるわけではないのですけど、何となく想い続けていて。その方にずっと憧れているような心境が続いていて、ほかの人は考えられなくて。いまから思うと幼い恋なのですけどね。
 
大学中、何回か、主人から2回くらいデートに誘われたのですけど、そういう気にならなくて。それで大学中は何もなく、終わって行きました。彼には申し訳ないな、と少し思いました」
 
 
そのとき、郵便局員が郵便を届けにきて、私がサインをして郵便を受け取った。先生は私と自分の分のコーヒーを淹れてくれた。
 
コーヒーを飲みながら、先生は話の続きをするよう私をうながした。私は話しを続けた。
 
 
「お互いが29歳になったときに、本当に偶然なのですけど、駅の構内で会いまして。その日の夕方、会社が終わった後に私は急いで電車に乗って行かなければならなくて、駅の改札に向かって歩いていました。彼は駅の改札を出て、コンコースを歩いて、会社に戻るところでした。彼の会社は駅前にあったのです。
そして、ふと気づくと再会していました。あれ、知っている顏が目の前にある??、と言う感じで。ちょっと驚きで。」  
  私は軽くコーヒーを口に含んだ。話し続けて喉が少し乾いていた。
  「彼は大人になっていました。最後に会ったのが22歳のときで、それから7年経っていたので、少しあかぬけたというか、おしゃれになったというか。なんとなく、学生時代よりいい感じだな、と思いました。 彼から名刺をもらったので、その日のうちに名刺に書いてあったメールアドレスにメールを送ってみることにしました。あまり深く考えてはいません。なんとなく、一度会って話してみたいなと思った程度で。そして、翌週会うことになって、食事をしました。 彼と会ったとき、楽しかったです。自然体でいられたというか、学生の気分に戻れたというか。共通の友人の話などをして盛り上がりました。そして、その日は食事をして終わりました。
 
 
私はバス通勤でしたので、駅前のバス乗り場まで彼が送ってくれて、バスが来た別れ際に、また会おうよ、と言われて、OKして。 その週末、2回目のデートをすることになったのですけど、そのときに、車で、何も言わずに結婚式場につれて行かれたのです。突然。 この式場どうかな??と彼が訊ねるのです、意味が分からず戸惑う私に。
 
運命を感じたから、と彼が言いました。
 
それが実質的なプロポーズでしたね。」
 
 
先生はコーヒーを飲んで、手で包むようにコーヒーカップをもって、見つめた。先生の眼はいつもやさしい。なぜそんなにもやさしい目をしていられるのか、いつか聞いてみたい、と思う。  
 
 
私は話を続けた。
 
 
「そして結婚しました。結婚して、13年が経ちました。いろいろありましたけど、まだ楽しく暮らせているから、いいかな、と思っています。」  
  先生はうなづいてくれて、窓の外を眺めた。窓の外には駐車場に咲くあじさいが見える。色にあふれた美しい花。
 
  「先生は結婚されないのですか??」と、私は訊ねてみた。
  先生は63歳になるけれど、独身で家族はいないらしい。結婚したことがあるのかどうか、も知らなかった。
  先生は少し考えた後で、ゆっくりと答え始めた。
  「私は、結婚もそうですが、これまで女性と一度もお付き合いしたことがありません。」
  と先生は丁寧な言葉づかいで言う。スタッフの私と話すときもいつも敬語だ。
  「私は子どもの頃から、ずっと、女性が苦手でした。できれば関わりたくない、と思っていました。かといって、男性がいいというわけではなくて、男性にも興味はないのですが、それ以上に女性に興味がない、というか関わってほしくなかったのです。」
  先生はコーヒーを飲んで、続けた。
  「私が何歳ごろから女性に苦手意識を持っていたかわからなかったのです。気付いたら女性のことが苦手でできれば関わりたくない、と思っていました。
  いまの整体の仕事を始めるときも、できれば、男性限定でやれればと思っていました。しかし、仕事上どうしても女性も受けなければならないし、女性を受けるときにはあまり性は意識しないで仕事をするようにしていました。最初は生理的な嫌悪感、抵抗感もありましたが、年数を経るうちにその気持ちをコントロールできるようになりました。」
 
  整体院の前の道路を大型のトラックが走って、建物全体が揺れた。道路に面した整体院として、道路を通る車、通行人などの影響を受ける。今回のように建物が揺れたり、通行人の話し声が聞こえたり。それが嫌というわけではなくて、外部と内部の境界があいまいで、内部は外部を含み、外部は内部を含んでいる、という感覚を私は持っている。
 
外に降る雨は整体院の中を濡らし、整体院の中の温かな雰囲気は外の空気を穏やかにする。そういう感覚。  
 
 
「そして、先日、ふと思い出したのです。私がそのように思う原因を・・・」
  そのとき電話が鳴って、私が対応した。翌日に予約が取れるかという問い合わせだった。大丈夫です、と答えて予定表にメモして先生の元に戻った。
  「記憶喪失、もしくは記憶の抑圧、というのかもしれませんが、この件について、自分の記憶というものを信じられなくなりました。あるいは自分の抑制力の強さ、というものがすごいのだな、とも思いました。」  
はい、と私は言う。
  「あなたが中学生だったこと、学校の先生はやさしかったですか??」と私は問われた。
  そのように問われて、私は中学校時代の先生を思い浮かべてみた。基本的にやさしい先生が多かったし、中学校時代にイヤな思い出はあまりない。
 
 
やさしかったと思います、と私は答えた。
 
 
それは、よかったですね、と先生は答えた。


「いまから50年以上前のことにりますが、私の中学1年生の担任は最悪でした。ひどい先生でした。 人のことを悪くいうことは好きではないのですが、彼に限っては言わせていただくと、粗暴で、頭が悪く、下品で、人の心を平気で傷つけて、暴力も振るって、お酒くさくて、常識がなくて、同僚の先生からも嫌われていて、学校の教員にふさわしい人物ではありませんでした。
 
 
現代の教育制度でしたら、絶対に教員になれる人物ではありません。まず無理でしょう。。。
  しかし当時は戦争が終わって、20年しかたっておらず、日本全体はまだ貧しく、そのような人物を教員にすべきかどうかを選考しておける状況にはなかったのだと思います。 人格的に問題のある人物であっても、とりあえず決定的な欠陥がない限りは、教員にしておかざるを得ない状況であったようです。 そして、そのような人物が私の担任でもありました。中学1年の入学式に彼が担任だとわかって非常にイヤな思いがしたことを今でも覚えています。そのようなイヤな教員がいることは近所の中学生の先輩から聞いていましたので。」
  先生はコーヒーを一口飲んでつづけた。
  「中学1年の6月に私はある女子生徒から恋文をもらいました。ラブレターですね。6月のある朝、学校に行って、教科書などを机の引き出しに入れようとすると、手紙が入っていることに気づきました。 かわいらしい和柄の便箋で、あじさい の絵が描いてありました。 私はびっくりしました。そのような手紙をもらうのは初めてでしたから。」
  先生はコーヒーを飲んで、しばらく考え込んだ。私は黙って、先生が話を再開するのを待っていた。
  「1時間目の授業中、私はこっそり手紙を取り出して、封筒に差出人名が書いてあるか見てみました。手紙自体はまだ読めていなかったので、封筒を見てみたのですが、差出人名は書いてなくて、誰が書いたかわからなかったのですが、私はある女子生徒からだといいな、と思いました。 私はクラスに憧れている女性がいたのです。初恋、というと大げさかもしれませんし、当時は13歳という年齢でしたからそういう気持ちを 恋 と名づけてよいか、わかりませんでした。なんとなく、淡い、心休まる気持ちを彼女に対しては持っていました。
  その日の 2時間目の授業は音楽で音楽教室に移動しなければなりませんでした。1時間目と2時間目の授業の間に私は他のクラスの友だちに話をする必要があり話をしていたら、休み時間が終わってしまって。急いで教室に戻って、机から音楽の教室や縦笛などを取り出して音楽教室に向かいました。 そのとき慌てていたものですから、どうも教室でその手紙を落としてしまったようなのです。 そして、その手紙をその最低な担任教師が拾い、3時間目の初めにみなの前で追求し始めたのです。 この手紙を書いたヤツはだれだ、と」
   外の道路を大型トラックがまたとおって、整体院の建物全体が揺れた。心まで揺さぶられるようなイヤな揺れ方だった。
 
 
「非常につらい時間でした。その教師の変質者的なところが全面に出た追及の時間でした。」
 
・この手紙は恋文のように見える。
・お前たちのようなガキどもに恋文なんかを書いている時間はない。
・お前たちは親から食わせてもらっている身分で、お前たちは勉強だけしていればいい。人を好きになるなんて、何年も早い。
・お前たちの親も同じ思いでいるはずだ。だから、いまからお前たちの親に代わって俺がこの手紙を書いたやつを見つけ出して、怒鳴ってやる。
・だからこの手紙を書いたやつは名乗り出ろ、女だろう、今すぐ名乗り出ろ」
  教室をイヤな空気が多いました。黒く重い空気でした。
  誰が今回の犠牲になるのか。あいつか、こいつか。誰が今回、傷つけられるのか。教室全体がそんな雰囲気でした。
 
その教師は続けました。
  「誰もいないようなら、それでもいい。もしこの手紙を受けったやつがいるならそいつが名乗り出ろ。名乗り出たら、それを替わりに怒鳴ってやる。そいつも誰かに色目を使ってこの手紙を出させたのだろう。書いたやつと同罪だな。罰せられて当然だ。お前らまだまだガキなのだからな」
  私は心臓の鼓動が早くなるのがわかりました。あの教師は私のことを言っているのです。
  私は、私がもらいました、何かがあって、手紙を落としてしまったのだと思いますが、確かに私がもらったものです、ですから、どうか、すみません、許してください、 と言おうかと思いました、一瞬でも。
 
でも、私にはそんな勇気も覚悟もなかったのです。私は中学生になったばかりのたった13歳の少年で、悪魔のように見える教員に立ち向かう勇気は持ち合わせていませんでした。
  ものすごくドキしながら、時間が過ぎてゆきました。
 
1分ほど黙った後、教師は突然大声で高笑いしました。
 
「はっはっはっはっ。 やはりお前らはガキだな、自分たちの行為の責任を終えないのか。書いたやつも、受け取ったやつも、名乗り出ればそれでいいではないか。人を好きになる、人に好きになってもらう、と言うときにはそれくらいの責任や覚悟が必要なのだ。それなのにこれを書いたやつも、受け取ったやつも、そんなことすらわからない。
  単に好きだ、ステキだ、というような思いをつづった手紙が書いてあるのだろう、ばかばかしい、くだらない、ゴミみたいな手紙だ、くだらない文章だ、こんなの価値がない、地球の資源のムダ遣いだ、お前たちが勉強に充てるべき時間の無駄使いだ」
と教師は言いました。
 
私は顔から血の気が引いて、視界がさーっと灰色になっていくのを感じました。
  「よーし、わかった、いまからこの手紙を俺が読み上げてやろう、そうしたら、誰が書いたから、誰宛に書かれたかわかるな。そしたら俺がそいつを説教してやる。勉強もしないで、恋心を抱いている奴なんて、くだらない奴は俺が十分説教してやる。覚悟してろよ」 そして教師は便箋を空け、中から手紙を取り出した。そして広げて、読もうとした瞬間、教室の右前方に座っていた女子生徒が大声で泣き出して、教室を飛び出して行きました。
 
私が机の中に手紙があるとわかった瞬間、あの子からの手紙だと良いな、と思った、まさにその子でした。
  教室全体がはっとして、ほかの女子生徒が追いかけてゆこうと立ち上がった瞬間 、
  「動くな!!!」
 
と教師が怒鳴りました。
  「お前らは座っていろ!!」
  そして、大声で笑いだしました。大声で、大声で、その悪魔は笑っていました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
そのときです、私には女性を好きになったり、愛したりする資格や立場にないと思ったのは。自分が好意を寄せる女性のことも守れない男だったのです。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
ただ、私は長い間、なぜ自分がそのように思うのか、理由がはっきりわかりませんでした。ただただ、そのように信じてきていたのです。 なぜ私は自分がそのように思うのか、何度も何度も考えましたが、まるで私が生まれたときからそのように思っていたかのように、私は強い思いを持っていました。
 
 
私の63年の人生のなかで、何名かの女性は私に言い寄ってきていただける方もいらっしゃいました。私を好いてくれる方もいました。私のそばにいたい、結婚したい、愛している、と言っていただける方もいらっしゃいました。
  でも私はすべてお断りしてきました。私はそのような身分や立場にはありません。私は人に好かれたり、好いたりしてはいけないのです。なぜ私がそのように思うのか私自身、わからないのですが、そのように思う私は真実ですから、大変申し訳ございませんが、お断りさせていただきます。
 
そのようなことを何度も女性たちにお話してきました。
  その都度、その女性たちを傷つけてきてしまったと思います。せっかく私を好きになっていただけるのに、明確な理由もなくお断りするなんて。彼女たちにとってはひどすぎることだと思います。
  それでも仕方なかったのです、私は人から愛される資格などないと思っていたのです。それ以上に人を愛してはいけないと思っていました。そのような心を持つこと自体がやましいことで、けがれていることで、いけないのだと。
 
長年、なぜ自分がそのように思うのかわかりませんでした。わかりませんでしたので、とてもくるしかったです。それでも、そのように苦しむこともいけないのだと思っていました。
  そのため、世の中を達観する、仙人のような、修行僧なような存在にならなければならない、とずっと思ってきました。そして、そのようになれるように努めてきました。    
 
このように言うことは大変失礼であることは存じていますが、それをわかったうえであえて言いますと、あなたはその女性に似ています。中学1年生のときに私に手紙を書いてくれた女性です。   
外観や、たたずまい、雰囲気などが似ている、と、最初にお見かけしたときに思いました。ですので、3回目の診療が終わったときに、失礼かとも思いましたが、私の整体院で働いていただけないかとご提案しました。もう少しあなたとお話してみたったのです。
 
 
それ以上、いやらしい思いを持っていたわけではありません。     
2週間ほど前、5月下旬のある晴れた日の午後に、あなたがお仕事を終えて、ドアから出てゆかれる瞬間に、私は、中学1年生の教室から、私に手紙をくれた女子生徒が教室のドアを飛び出してゆく光景を重ねてみることができました。
 
その時に私はすべてを理解しました。  
私は50年以上否定し続けてきたもの、否定し続けてきた理由、そこにあったもの、それが始まったもの、それらすべてを。 その記憶すべてがよみがえってきたのです。これまで50年間封じ込めてきた記憶が。
 
中学1年の6月のあの日、あの悪魔のような教師が私の人生を決めたのです。手紙をもらったのは私です、と言い出せなかった私は、手紙を書いた女性を傷つけ、救えず、見捨てたのです。私は最低です。ある意味、あの教師よりもひどい男だったのかもしれません・・・。
 
そして悟りました。あの教師の言うように、私は人を愛する能力、立場、身分などにはないと。人を救えず、自分の保身さえも考えられなかった自分に人に対して好意を抱いたり、人から好意を抱かれたりしてはいけないのだと、そう思いました。そう思って、すべてを無意識に封じ込めたのです。あの時のイヤな感情を抑圧し、隠し、ないこととしたのです。 
 
ところが、いまから、2週間前、すべてが湧き出してきました。私の心の奥の奥から、すべての過去が突如として、湧き出してきたのです。
 
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この2週間、実は非常につらかったです。私が失ってきたもの、手に入れられなかったもの、傷つけてきた人たち、傷つけてきた私の心。それらすべてが思い出されました。
   そして、その教師を恨みました。とても憎いと思いました。その一方、その教師の理解もできました。当時の時代、彼の育ち、彼の苦しみ、そのようなものもわかりました。
 
当時、戦争が終わって、社会が急速に発展する中で、人の荒廃した心、急成長して行く経済社会、混乱のなかで、多くの人が疲弊し、倒れ、そして落ちこぼれていったのです。   
そのような大きな流れの中で、私たちは犠牲者でした。
犠牲者であり、加害者であり、そして・・・。 」
     先生が泣いていた。私も泣いていた。先生の心の嘆きが私の心に共鳴した。先生の失われた時間を思うと私の心も苦しかった。 長い長い時間が流れた。 整体院の外に、6月の冷たい雨が降る中で、その雨が整体院の中を濡らし、冷やし、凍えさせる中で、冷たく長い時間が私と先生の心の中に流れていった。
 
・・・・・・・・・・・・・・

整体院の窓の外では あじさい が咲いている。いくつもいくつも、小さな花がひとかたまりになって咲いている。白、赤、青、紫と。6月の雨に打たれて、うれしいそうに、いろいろな花が咲いている。  
私は思った。この何十年、どれだけ、多くの心が雨に打たれて泣いてきたのだろうか、と。
 
教室に集う子どもたちの小さな心、会社に集う大人たちの心、社会に集う多くの人の心。それらは何かの犠牲者だった。雨に打たれて寒そうにみじめで、それでもけなげに咲いてゆく犠牲者。
 
しかし、それらの花が寄り集って咲くならば、それぞれの小さな花が、そして、ひとつにまとまって懸命に咲き、その時々、その場所をきれいに彩る。それがこの社会、そして、個々人の咲き方。
  そんな風に私は思った。
  
いつか私たちは咲けるのだろうか。8月の輝く太陽に向かって大きく高らかに咲く花のように。
 
  あるいは、6月の冷たく降る雨に濡れて、辛抱強く我慢しながら咲く花のように。
 
灰色の世界に、彩りを求める心のように。
 
そのどちらか、私にはわからないけれども、いつの日にかすべての花に彩り鮮やかに咲き誇れる瞬間が訪れると良いと思った。
 
冷たい6月の雨が降る、外部と内部が入り混じった部屋のなかで。

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