2016年5月4日水曜日

その夏初めて鳴くセミの声は高らかに響く

後輩が亡くなったのはいまから21年前のこと。当時僕はハタチの学生だった。


僕と後輩は静岡県三島市にある大学の同じ部活に所属していた。後輩は昔でいう不良のような服装をしていて、ハーレーダビッドソンに乗っている怖い感じのヤツだった。それでも礼儀正しくて、あいさつはしっかりするし、上下関係も大事にしていた。後輩は1年浪人して入学して来ていて年齢は僕と同じだったけれど、学年がひとつ下ということで、僕を先輩として、とても礼儀正しく接してくれていた。それでも、気が弱かった僕は不良っぽいその後輩のことは少し苦手で、距離を置いておきたいと思っていた。人数の多い部活だったこともあり、それでも大きな支障はなかった。






その後輩が事故で亡くなったとき、彼は大学2年生だった。1994年7月上旬の梅雨の夜、午前3時頃のことだった。後輩は居酒屋で深夜までバイトをした後、雨の降る中、ハーレーでアパートに帰ろうとして、帰り道にあるゆるいカーブを曲がらず直進して、電信柱に顔をぶつけて亡くなってしまった。棺に眠る彼の顔を見たけれど、包帯でようやく顔の外観を整えられていて、顔がひどく損傷していることが分かった。


その後輩の葬儀に参列するため、僕は彼の実家のある川崎市の高層団地に部活の仲間と行った。葬儀の日はたまたま梅雨の合間の晴れた日で、とても暑い日だった。僕や仲間は顔や身体にたくさん汗をかきながら、読経を聞き、彼が出棺されるのを待った。


読経が終わって静かになった時、高層団地の7階の一室から、後輩の家族や僧侶が音もなくて出てくるのが見えた。外の通路をゆっくり歩き、エレベーターで1階に静かに下りてくる家族や僧侶たちは、遠い月から後輩の魂を導きに来た一行のように見えた。夏の日差しでボーとしてきた僕にはとても幻想的な光景に思えた。



葬儀の間、ずっと大泣きしている女の子がいて、隣りの部活のマネージャーだった女の子だった。葬儀のときには知らなかったのだけれど、後から聞くと、後輩と付き合っていた、とのことだった。


そのマネージャーは暑い日差しのなか、葬儀の最初から最後まで大きな声で泣き続けていた。恋愛には疎かった僕にも後輩とその女の子が特別な関係であったことはその場で分かった。そんな彼女の声が枯れて、泣き声も聞こえなくなったとき、その夏初めてのセミが鳴き始めた情景を僕はよく覚えている。


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○○先輩ですか??


と声を掛けられたのは今年(2015年)7月上旬の東京駅新幹線ホームのことだ。41歳になった僕は21時過ぎまで東京で仕事をしていて、最終の静岡行きのこだまを待っていた。


声を掛けられて、すぐにかつてのマネージャーだった女の子だとは気付かなかったけれど、彼女が名乗ったり、昔の話をしてくれたおかげでようやく思い出すことができた。小柄でかわいらしい女の子だったマネージャーは、今でも変わらずかわいらしさを残した大人の女性になっていた。すっとしたスーツと、一つに束ねた髪がいまも彼女が働いている女性なのだと見て取れた。



銀座で働いている彼女はその晩は三島まで新幹線で行くということで、車内で並んで座ることにした。



車内は混んでいて、座れず立っている人もいたけれど、僕とその子は並んで座れた。お互いビールやカクテルを買っていて飲みながら話をした。


新幹線の車内では、自身の近況報告や、共通の部活仲間、知人などのことを話した。学生時代、彼女と話したことはあまりなかったように思うけれど、共通の知人、友人がたくさんいたせいで、楽しく話すことができた。


彼女はお酒が強くないようで、少し飲んですぐに顔を赤くしていた。



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「先輩は○○のこと、覚えてます??」と、ある程度いろいろな話をしおえたときに、彼女に訊かれた。



覚えているよ、バイクの事故で亡くなったよね。



そうです。もう21年前のことになります。私、彼と付き合っていました。



その時まで、後輩と彼女が付き合っていたことを忘れていた僕は少し居心地の悪さを感じた。何かまずいことを言ってないかな、とその時の会話を振り返った。



「彼が事故した日、正確に言うとその日の前日ですけど、私、彼と大ゲンカをしました。その時までに1年くらい彼と付き合っていたのですけど、彼、女の子にもてるし、私が嫉妬深いこともあって、そのときの午後も、ほかの女の子と楽しそうに話しているのを見て、私、カーッとなってしまったのです。そして、夕方、キャンパスのバイク置き場で彼を責め立てました。それ以前に、彼と約束していたのです。大学で女の子と話してもいいけど、少しだけにしてって、私、嫉妬してしまうし、そんな自分がイヤだから、大学では女の子とあまり話さないでってお願いしていたんです。


彼も私の気持ちをわかってくれて、いいよ、って言ってくれたのですけど、私、彼がちょっとほかの女の子と話をしているのを見ただけで、イライラしてしまって。たぶん そのほかの子が私を嫉妬させるためにイタズラで彼に話しかけたと思うのですけど、その後、彼を駐輪場のところで責めたんです。そこには彼のハーレーが停めてあって、彼のバイトまで1時間くらい時間があったから、ずっと。




そんな人目に付くところでケンカして彼もイヤがっていたけど、彼、優しい人だったから私の気持ちを尊重してくれて、うんうんって、ずっと聞いてくれました。それでも私の気持ちがおさまらなくて、ずっと怒ってしまって。


そうしているうちに、彼がバイトに行かなきゃいけない時間になって、彼はバイトに行きました。梅雨で雨が降っていたから危ないなって思ったけど、時間がないからそのままバイクで行くよって。ホントはアパートにバイクを置いて、歩いてバイトに行こうとしていたみたいです。でも、アパートに行くとバイトに遅れて、店長に迷惑をかけるからって、彼はそのままバイクで行きました。


バイトは夜中の1時に終わったみたいだけど、その後、彼は店長に相談していたそうです。彼は大人ともうまく話ができてから店長にもかわいがられていて、いろいろなことを相談していたようです。自分の将来のこととか、生き方のこととか。その夜は私のことを相談していたみたいです。


彼としては私を大切に思っているし、いちばんに考えているけれど、私の束縛が強いっていうか、負担に思うこともあるって。もう少し自由に距離を置いて付き合えたらいいのに、って。そんな感じの相談をしていたようだって、あとで噂で聞きました。


店長との相談が3時前くらいに終わって、そのときには雨が結構降っていたみたいですけど、でも彼はバイクに乗って帰りました。ちょっとお酒も飲んでいたみたいです。バイトの疲れもたまっていたでしょうから、眠かったのだと思います。


その帰り道、ゆるいカーブを曲がらないで、直進し、立っていた電柱に顔をぶつけて亡くなりました。アパートまで500メートルもないところなのですけどね。




私、思うんです、あの夕方、私が彼とケンカせずに、そのまま彼がアパートにバイクを置いて帰っていれば、彼は亡くならなくても済んだんじゃないかって。

私が、嫉妬深くなくて、彼がほかの女の子と話していても、そんなの平気ってタイプだったら、彼は今も元気に生きているんじゃないかって。




どうなのでしょう??私、あの時、彼をケンカするべきじゃなかったんでしょうか?




私、今年40歳になりますけど、ずっと独身です。正確に言うと、30歳手前で結婚しました、親を安心させたくて。でも、好きでもなんでもない人と結婚したので、1年もたたないうちに離婚しました。子どももいないから、すっきりしたものです。いまではその結婚相手の顔も思い出せないくらい、いまどこに住んでいるのかも知りません。


私、彼のことがホントに好きだったんです。彼は19歳だった私に現れたヒーロー、っていうか、キラキラしたもの、っていうか、希望、夢、可能性っていうか、わからないですけど、ステキなものの象徴でした。


かっこよくて、ちょっと不良っぽくて、大きなバイクに乗っていて、私の知らない世界もたくさん知っていて、、、。遊びにもいろいろ連れて行ってくれました。


刺激的な人でしたね、男とか、ワイルドとか、そんな感じ。彼のことはいまでもずっと好きです。19歳の時の好きになりましたけど、40になっても、私、彼のことがずっと好きなんです。ずっと、ずーっと好きです。





だから、彼が忘れられなくてとてもつらいのです。いつも、いつも彼のことを思い出します。彼も生きていたら41歳かぁ。お腹が出たり、髪の毛が薄くなったりしていたのかな。

仕事は、バーテンダーとか、居酒屋とか、バイク関係の会社に入って、営業とか、もしかしたら社長なんかになっていたりして。友達は多かったし、人望はあったから、何をしても成功しただろうなって。

わからないですけど、もし私と結婚していたら、私との間に子どもがいて、3人くらいの子ども楽しく暮らしていたのかなって。いつも想像してしまいます。




そしてつらいです。



あの日の夕方、彼となんでケンカしたのだろう
なぜあの時雨が降っていたのだろう
なぜ彼はお酒を飲んでバイクに乗ったのだろう
なぜバイクを置いて帰らなかったのだろう
なぜ彼はアパートまでの短い帰り道に、ふっと寝てしまったりしたのだろう





なぜなぜなぜってずっと思います。彼が亡くなってから、20年以上経ちますけど、ずっとずーっと思っています。





私、苦しいです。彼のことは忘れたい。彼のことを自分から切り離したい。でも同時に彼のことは忘れてはいけない、と思います。彼のことを忘れたら、彼がいなくなってしまう。だから、苦しいけど彼を忘れてはいけないって心に決めています。私の人生で何が失われても、何かを失ったとしても、彼を思い続ける気持ちだけは忘れてはいけないって。



それが私という命の使い方なのだと思います。




彼女は静かに泣きながら話した。




そこまで話が進んだ時、新幹線が三島駅に着き、彼女は新幹線を降りた。多くの乗客が降りる中、彼女は静かにホームを去って行った。ハイヒールの音を高らかに鳴らしながら。



時刻は23時を過ぎていた。





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「私、毎年この日は三島に来ています。それが私にできる唯一のことです。」



そんなメールが翌日僕の携帯に彼女から入った。



その日は後輩の命日で、彼女は後輩が亡くなった夜中の3時頃、事故現場で、毎年、後輩のために謝罪し、そして祈りをささげているそうだ。







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僕は願う。




梅雨が終わり、暑い夏の日が差すように、彼女の後悔がいつか晴れて、終わることを。



そこには、その夏初めて鳴くセミの声が高らかに響いていると僕は信じている。




幻想ではなく、心からの希望として。

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